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宝塚歌劇

 けれども配偶者は、多分こう言いたかったのだろう:折角自己発見で見つけた能力を使って、新たに別の自分を創造してみたかった、と。彼女にはそれが出来るだろうとは思うが、この為には時間が足りず、人生150年は必要だ。


 現実に女性で活躍する人は多い。ドイツのメルケル(前)首相なんて筆者は尊敬しているし、かって英国にもサッチャー首相が居た。これらを理解した上で、なおかつ女性に対して筆者はやや懐疑的な見方をしている。筆者の配偶者もS子も勇ましいけれども、男女間には避けがたい性差があると思うからである。女はやっぱり男に勝てないかという気がする:


 今の時代、女性に対して「女らしく」と言うと、差別だ!時代錯誤だ!考古学者は死ね!と、口を尖らせて過剰反応される。看護婦もいけないそうで看護士なのだ。女らしくとか看護婦の言葉に目くじらを立てるが、それが本当に差別だろうかと筆者は常々疑問に思う。女ばかりの宝塚歌劇があってよいし、男子学生門前払いの女子大学があってもよい。


 人間も自然の一部なのは否定出来ない。気の遠くなる昔から(750万年前と言われている)年月を掛けて人類が進化して来た結果が今にある。他の動物と違って知性が発達し文明を築いた。とは言え、文明に使った年月は精々数千年で、人類の進化の尺度から見れば微々たる長さ。男女の関係が対等になってきたというのも、ここ数十年の事で微々の中の微小だ。


 中に浸り切っていると「文明の発展」は当たり前のように思えるが、たった数十年でちょこっと出来た文化という流行はやりが、果たして人類の長大な進化の流れの方向に沿っているかどうか、である。これは大いに検証されなければならないと思うが、世界の誰一人正解を知らない。分るのは千年後であろうか。


 文明をいじくっている内にいじり方を間違えて人類が衰退・滅亡の道を選んでいないかという危惧がある。致命的なリスクを犯そうとしていると言えば、大げさだろうか。千年後に果たして日本人は、いや人類は存在しているのだろうか? 思い切って言えば、本当の処は「女は女らしく」・「男は男らしく」ある文化が、正しい文化で進化すべき方向ではあるまいか。そんな風に思うのは、わけがある:




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