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忘れ得ぬ痕跡

++++平和な時代にあってこそとても魅力的なL子だったが、戦時下では協力を得るどころではなかったと思う。誰かがフリーテニスの時に言っていたように、「どえらい目!」に逢っていたに違いない。


 そんな時、七つ年下というのは大切な要件だったようで、戦時下でY子は筆者へ全面的な協力を惜しまなかった。逞しく一流の女給の仕事をこなしたし、サービスランチのメニューも考えてくれた。会社設立時には財務を一手に引き受けて銀行交渉をやり、資金繰りに苦労し会社運営の両輪の片方として筆者の人生をリードした。親しみを込めて筆者の事を「ヒーチャン」と呼び続け、間違いなく筆者は正解の女をパートナーとして選択していた事になる。

 今では世間や取引先の間で、筆者よりも彼女の方が評価は高く能力も上に見られている。優れた才能を見事に開花させた女は、世間に数多くはいない。


 L子と筆者の関係は、テイファニーのミス・ホリーとお金の無かった小説家の卵との関係と似ている。爽やかな関係のまま結局、ホリーは小説家から何処とも知れず立ち去った。若い時の恋とはそんなものであるようで、 一瞬パッと火花を散らすようなすれ違いが起きて、忘れ得ぬ痕跡を久しく残す。


 矛盾みたいだが、筆者は実際には七つ下のY子を心から愛し続けながら、L子を夢見ているような処がある。先の小説家がホリーに貰った骨董品の鳥籠を何時までも手放さないのと同じように、「テイファニーで朝食を」をボロボロになるまで筆者が繰り返し読むのは、似たようなスタイルで、いわれの無い事ではないようだ。


お仕舞い

2021.10.23

追伸

 I君(=井上政喬君)は去る6月30日に80歳で亡くなった。筆者の前にもう戻って来ることはない。数年間パーキンソン病を患っていたが、最期は肺炎で逝った。若い時代(=輸出部での)の筆者の貴重な思い出の一部を担っていただけに、彼の死は自分の一部が欠けてしまったような気にさせる。人生を哀しいと感じるのは、こんな時である。

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