五十数年が経った
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あれから五十数年が経った。今やみんな等しくーーー長生きするのも芸の内の歳になった。長生きをするのは良い事だ。なぜなら、それぞれの人生の結果を、見届けられて検証出来るから:
それぞれの人は、それぞれの道を選んで歩んだ。「貴方大好きよ!」と今更言った処で、これ以上先に進めるチャンスはもうない。これは長生きの欠点だ。
先ず先の芦屋の女先生ノリちゃんは独身を通し、論文を幾つも書いて神戸女学院大学の教授へと昇進した。あの頭のキレ具合だったから、さもあろう。
筆者と同い年で一緒に英語を学んだ同僚I君は、当時からいいやつだった。今も印象深く覚えているが、当時彼女の居なかったI君へ、女先生の自宅へ通う電車の中でつり革につかまりながら、筆者は一度彼の気を引いてみた:「(ノリちゃんがだめでも)L子はどうか?」
筆者の内心にはL子を譲るような気持ちが、何処かにあった。「ソレは無い!」とI君は即座に否定したのだが、筆者にすれば、しばらく考え込んでから返事をして欲しかったと思った。
I君と筆者の間で、L子の評価について完全に意見が一致してはいたが、何故かについては、意見が分かれた。代わりに、その後I君はお寺の女を上役に紹介され仲人もされて結婚した。上役の引きだったかどうか、最終的に子会社の専務取締役へ出世した。筆者は彼とは今も友人として時々逢っている。
L子は結婚後暫く会社に勤務していた。退職した後の消息は、これは特筆すべき事かもしれないが、離婚だけはしてないらしい。これを風の便りに聞いたから、それなりに幸せな人生だったのだろう。結局、青年実業家だったという男はL子の個性を愛し、いや、それに耐え切った「稀有な男の中の男」だったのだ。尊敬に値すると思うが、ここでこれ以上の説明は重要ではない。
かけがえのない女になるためには、いつも他と違っていなければならないという方針は、L子に限って真理だったようだ。




