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「不在証明」にはなるまい

 日本の夜明けは、明治維新で西欧文明を積極的に取り入れたことによって始まったと言われる。「取り入れなければならない」程遅れを取ったのは、徳川時代に長く鎖国をしていたからだと言われたりするが、必ずしもそれだけではなかったと思う。日本語と言う言語の特性が西欧的発想を「生めなかった」からではないか、と筆者は疑うのである。


 人類の発展は異民族(=即ち、異文化)間の殺し合いと戦争の歴史と言われる。弓と槍を多数保有していたからA国はB国に勝って征服したという。火薬の発明が助けてC国を征服したと、そんな言い方がなされて目に見える部分が取り上げられる。


 けれども目に見えない「基本ソフト」の部分が武器より重要な場合もあると思う:XXXの優れた(或いは、能動的な・活動的な・哲学的な)言語を保有していたから「なぜ・なぜ・イコール」の論理的な思考が素早く出来て、結果的にZZZの(或いは、自然を愛する・情緒豊かな)言語を使っていた異民族を攻め滅ぼした、とは誰も言わないのは何故か。


 コンピューターでも重要なのはハコ(箱)以上に目に見えないソフトが重要とされる。人は言葉を使って思考するのだと言うなら、言語は人を動かす基本ソフトと言えそうだ。言語の優劣とは民族の優劣と同じ意味になりそうで、差別的になるから積極的に研究されないのかも知れない。が、目を背けたからといってそれが不在証明にはなるまい。




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