可能性を大きく広げてくれた
同級生らの間では受けの良くない授業であったようだが、少なくとも筆者は教師の考え方に妙に感じ入った。難しい事を易しく説明するのが世の流行だが、それとは逆で、易しく見える文章をわざと難しく教えるようなものだったから、流石に大学に相応しい授業だと思った。
そんな次元の異なる視点を持つ授業を受けたのが初めてだったし、これが学問をする者の心構えではあるまいかと思った。そりゃそうだ、大学の授業は少なくともハウツー物の安直な英会話の教室であってはならない。
江戸の仇を長崎で討つというが、先の教師の授業で痛めつけられた仕返しを、五十年後の英語塾の「精読」で筆者は討っているのである。もっとも、筆者の実力では到底昔の教師の足元にも及ばないが、せめて雰囲気だけでもと思って真似をしている。
そんな取っ掛かりからスタートした英語ではあったが、その後英語が筆者の人生の可能性を大きく広げてくれたのは確かである:大学を出て大阪のT社で輸出の仕事・海外への出張・ベルギーの銃砲会社への転職・今の会社(ドイツ系外資)の設立・取引先を各国に順次広げていった事。合間に喫茶店の経営やセールスマンの仕事もこなしたが、大筋は変わらない。
ビジネス文章に限り、英語で書くのと日本語で書くのはスピートが同じだから、書くのが億劫にならないのが便利だ。筆者の人生は英語抜きにはあり得なかったのである。




