長生きするかどうか
赤ん坊に訊くなら「お乳をくれと泣き喚いている」時で、この時が正しく真剣に生きている状態だ。子供に訊けば「遊んでいる時だよ!」と答えるだろうし、恋する人に訊けば「いま生きている真っ最中よ!」と顔を輝かせるだろう。中年男なら「いま、手が離せず忙しいんだ、用があるなら後にしてくれないかな」とはぐらかすに違いないが、これも「(いま)生きている」姿と言えよう。
定年退職後の人なら、どう答えるかな? 「いま、暇だ。多分明日もーーー」と言うかも知れない。そういえば、「風呂メシ済んで、未だ六時」という自嘲気味の川柳(詠み人知らず)があった。
お気づきだと思うが「人として、生きている」とは、「何かをしている」事だと分る。赤ん坊から始まって、先の応え方の中で異質なのが一つある: 前四者は船で言えばエンジンが「掛かっている状態」だが、最後の風呂メシの人はエンジンが「停止し」波間にゆらりゆらりしている状態だ。「生きている間は、シャンとしていなさい」とはなっていない。
油断していると思うので、ここで突然再度追加して質問:ベンチに座る人を見て、その人が「長生きするかどうか」、なぜ分かるか? 長生きするのと生きるのはほぼ同じ意味だから、生きる事を別の角度から訊ねただけだ。AI(人工知能)に訊けば分るだろうか? 実は簡単に分る方法がある。本文を最後まで読めばわかると思うので、ウソは書かない積りだから、長生きしたければ貴方もそうすればよい。




