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ケセラセラ
「如何に生くべきか・生きる目的は何か」の哲学上のテーマは、既に手あかにまみれた言葉だが今なお支持を集めていて、よく人の口にのぼる。自問自答する場合もあって悩む人も少なくない。
けれども、考えてみるとこれらのテーマはいずれも、未来指向の質問と言えそうだ:「これからの」人生をどう生くべきかーーーという風に。「生きる目的はなにか」の問題も、今の処自分には目的らしきものがないので、将来の為に新聞の人生相談欄で「目的を探そう」とする人もいる。これのお陰で新聞が売れる。
如何に生くべきかと大上段に構えなくても、肩の力を抜いて、ケセラセラ(=人生なるようになるさ、なるようにしかならない:ドリスデイの歌)という生き方もある。気楽だが生き方として決して悪くはない。悪くないどころか踏襲している人が多いと思う。
先の歌では、結婚したら綺麗な虹の日々が続くかしら?との問いかけに対して、ケセラセラと応える歌詞になっている。けれども、これもやがてやって来る「先行き(未来)」の為に歌っている。




