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ビッグバンの前

 先のどの命題に対しても、誰かが(特に若い人から)回答を教えて呉れる訳ではないから、自分で考える外ない。大学で勉強などしなくても、歳が行けば誰もが大なり小なり哲学者になる。自分で考えるよりないと書いたものの、いやしくも老人と名が付けば、それぞれに既に「それなり」の回答を持っているものではないかと思う。ただ人に言わないだけのことか。


 そんな次第もあって筆者は最近哲学書に凝っている。一般に「概念」と言えば「大雑把な考え方」という意味なのだろうが、これの本質をとことん突き詰めて意味を明確にするのが哲学であり、その試みである。存在(「ある」という概念)とはどういう事か? 時間とは何か? 我思う故に我あり(哲学者デカルト)とか、ローソクの火は消えたら何処へ行くか?

 ソクラテスの頃から様々な哲学者や時代の賢人が命題を研究している。

 

 「存在とは何か?」は未だ解けてない謎であるようだが、解けない余りついに、解けないのは命題(立てた問題)自身が間違っているからだ(=だから、そんな事を質問するな)、と考える哲学者もいるようだ。

 宇宙の果てなど無いのだから、「無いものを(あるかのようにして)訊くな!」というようなものだ。ロウソクの火は消えたら無くなるのだから、無くなったものを、さも何処かにあるかのようにずうずうしく訊くな!である。


 それらの書籍をつまみ読みしながら、同じ哲学書でも読む人の年齢によって、また時代を経て世の人の知見の増加で、変わってくるという気がする。例えば今日の知見の一つ、宇宙は(ビッグバンの前に)無から生まれたという仮説や、量子力学の知識の発達は、「存在とは何か」という哲学上の命題への答えに影響を与えそうに思う。


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