性ホルモン枯渇
話の角度を変える:
「将来に目標をもって生きよ」と言う人がいる。が、哲学的に言えば、軽率と言えなくもない。明日死ぬんじゃないかと、年寄りが前ばかり見て生きるのは決して感心しない。年寄向きに言えば「明日も明後日も無いと思え、今日を精一杯生きよ」と言いたい処だ。
老境ともなると筆者に限らず、人生を振り返る事が多いのではないか。なに、これが「今日を生きる」楽しみの一つだ。振り返ってみれば、「立てるべき命題」(哲学ではこういう言い方をする)は沢山ある、例えば:
・(長く生きた自分の)人生とは何だったか?
・(自分は銃を作り会社を作り)色々やって来たが、本当に大切なのは何だったか?
・(自分にとって)仕事とは何だったか?
・(結婚してみたが)夫婦とは何だったか?
・(離婚せず長く付き合って)女とは(又は男とは)何だったか?
・(全てを問う前に)人間とは何だったか?
この外にも:
・やり直せるとすれば次に自分はどんな生き方を選ぶだろうか? 因みに筆者の配偶者は本気かどうか、
どうも目つきからして本気らしいが、「次回、貴方とは絶対に結婚しない」と絶叫している。それをなだめながら次回の予約を入れるのに、筆者は日々苦労している。
・(上と関係しているが)配偶者は結婚したての頃と比べて、(物理的外見はさておき)どうして絶叫する程の化学変化を起こしたのか? 性ホルモン枯渇のせいなら、女向けのバイアグラがなぜ未だ発明されないのかと、と筆者は不審に感じる。これも立てるべき命題の一つと思っている。




