FNの紹介
因みに、筆者が勤務したFN社とAuto-5銃に関して客観的な情報を追記して置きたい:
FN社が本社工場を置くベルギー(正式には、ベルギー王国)のリエージュ市には、非常に立派な銃専門の博物館がある。筆者は2~3度足を運んだことがある。銃が芸術品として展示されている。日本人が日本刀に感じるのと同じような気持ちが、銃に対して西欧人にあるのだなと感じさせる博物館だ。
訪れる日本人は非常に稀か、当時はもちろんだが、今でも皆無に近いのではないか。
筆者はAuto-5銃の部品の検査員として技術研修を受ける為に、入社して半年後に、この歴史の街に約1ケ月半滞在した事がある。
リエージュ市(人口は約20万人弱)は歴史的に古い町で、昔鉄砲鍛冶が盛んで町中に沢山存在していて、それらが合同して一つの工場となり、国営のFN社(1889年設立)になったのだと聞いた。筆者が社員だったころは民間会社になっていたが、主力生産製品は「軍銃と機関銃」で、これらを世界中に輸出していた。
戦争をやりたがる双方の国へ武器を売っていた訳だ。一方に性能の優れたのを売り、他方に劣等なものを売りつけるなんて、不平等は絶対にしなかったとFNの人達は誇らしげに語った:「それが会社の信用ってもんなんだ!」
そんな事を言っていたから、何が自慢の種になるか世の中は分らない。
戦争の仕掛人みたいな処があり、そんな次第だからとても大きな工場で、構内に鉄道が走り消防署もあった位の殺し屋集団だった。しかし製造技術は超一流で、先に一度書いたが、英国の航空機エンジンメーカーロールスロイス社が技術に舌を巻いたという話がある。
Auto-5(=スポーツ銃)は製造金額でも全社の数%にも満たなかったと思うが、会社が当時経営体質転換の為に(平和を求めて?)格別な思い入れで、新たにスポーツ銃の分野に力を入れ始めていたのだ。丁度その時期に筆者が検査員として入社した次第だった。
元国営工場だったFN社も、お国柄に相応しく古い伝統を大事にする会社だった。良く言えばそうだが、悪く言えば「親方日の丸」みたいな会社。
その通りで、社員の間にも、上役・下役の間にもぎすぎすした空気がなかった。外国人である筆者に対しても人情味のある扱いをする会社だったから、気持ちの上では割にのんびりと仕事をさせて貰った。
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以下は、Auto-5銃に関するネットのウイキペデイアからの情報で、ここに転載する:
・世界各国でもイタリアのブレーダ、ソビエト連邦のトゥーラ兵器工場によるTOZ MC21-12など、反動利用式の半自動散弾銃が数多く開発されたが、その殆ど全てが何らかの形で「ブローニングAuto-5の機構や設計」を応用しているとされる。
・ジョン・ブローニングが当初に開発したAuto-5構造が、余りにも緻密なバランスの元に完成されたものであったが故に、後年になって登場したマグナム弾(=威力の増加した強力な弾)への対応(=装填)は容易成らざるものとなり、3 1/2インチの散弾実包(更に強力な弾)にはついには対応できず、アルミ合金や樹脂といった軽量で低コストな材料への転換も難航し、最終的にこの名銃は「製造コストの高さ」がネックとなって、Auto-5の商品寿命は(2000年頃に)終焉へと至る事になったという。
・Auto-5のメカニズムと発射の動画をネットで見つけたので、以下に紹介します。部品の動きが良く分かります。ネットのアドレス欄へコピペして見てください。
https://www.youtube.com/watch?v=5MfLYgTe6NI




