鐘の音
8.鐘の音
さて、小二の夏休みが過ぎた直後だったから、恐らく九月。午後三時前後だったろうか、学校からの帰路、全行程の七割辺りまで帰って来て、もう少しで我が陣地潮見台町に入るという辺りだった。道幅の広い最後の上り坂だったが、前を行く一人の女の子に追い付いた。
地球が自転するのをじかに見た事は無いが、しかしまるでそのように、彼女は手提げ袋を自分の体と一緒にぐるぐる振り回しながら、私の歩く同じ方向へゆっくり坂道を登っていた。そんな自転は、歩き慣れたつまらない坂道に、飽き飽きした場合に限って起きる。私のようなランドセルでは、出来ない芸当だ。こっちの姿に気付いてきまりが悪いと思ったか、女の子は地球の自転を停止した。
それが同じクラスの、普段から憧れを抱いていた例の背の高い女の子と判り、びっくりした。それまで、私の帰る道と彼女の歩く道が同じなのをまるで知らなかったからである。これまで一度も出遭わなかったのは、自分のだらだらした普段の道草癖のせいだったと知って、この時ばかりは、自分の愚かさを大いに悔やんだ。
辺りに冷やかす級友は居ないし、前後に大人も存在しない。ただっ広い道の中に女の子と私の二人きり。チャンス!である。気恥かしくはあったが、照れ笑いの中にわくわくしながら、近づいて思い切って声を掛けた。精一杯気運を醸そうとして、よそ行きの言葉を使った。気弱で温和しい私にしては、女に対しては行動が画期的。
クラス内で普段私以上に温和しかった彼女は、声を掛けられてびっくりした。怪しむような目を向けて、初めとりすましていた。女というのは、小二にして早や女を演じるのだ。けれども、直ぐにクラス一番の泣き虫の男の子と判って、気安さを感じたらしい。
真の友情は、相互間の正しい軽蔑の上においてこそ成り立つと、ある哲学者が言ったようだが、これは子供の世界でも成り立つ。その証拠に、応じた彼女の態度は初めから上から目線で、真に友情的だったのである:
「同じ道なのねーーー」彼女は聞こえるように、しかし話しかけるでもなく、独り言をつぶやいた。この女は異性に声を掛けられて舞い上がるタイプではない、冷静でプライドが高いのだ。
女の言葉は短かったが須磨寺の鐘の音みたいに、うっとりするほど快く私の耳を突き抜け、脳へまで響いた:「ゴ~ン!」
つづく




