マンモス狩り
こんな企業文化の違いから、高い部品精度を求めるFN社の要求に対して、受託下請けとして部品を製造するミロク社は要求精度を満たす為にヤスリで立ち向かおうとした。FN検査員の筆者と大喧嘩になるのは必須であった。
ヤスリ技術は人件費の塊みたいなものだから、ミロク社は当時人件費が我が国よりもっと安かった韓国に、一部の部品の製造を移していた。仕上がり品の検査の為に、筆者は釜山特別区にあった100坪ほどの小さな鉄工所へ、一度赴いた事がある。見学して肝を潰した:
そこには、プレス機械が2台とそれを動かす男子工員二人の外に、7~8名ほどの中年女性がいた。それが全部で、女性たちは全員が一つの大きな作業台を取り囲むように腰かけて、ヤスリ一丁を持たされてFN銃に組み込まれる2センチ角位の小さな鉄の部品を、手作業で仕上げて行くのだった。
初めにプレス機械で「大まかな形」を成型し、つまり荒っぽく打ち抜かれた鉄の中途半端な形を作った。それを女たちが一つ一つヤスリ一丁で複雑な部品形状に仕上げるのだった。それは恰も四角い鉄の塊を与えられ、ヤスリ一本で美しいビーナス像をくり抜いて行くような感じがした。それはそれで見事な仕事振りとは言えるがーーー。
何万個とある数量、それら硬度の硬い素材を複雑な形状の部品に仕上げるのだ、精度を求められるから手を抜けない慎重なヤスリの当て方、そんな鉄粉にまみれる骨の折れる仕事が彼女たちに与えられた任務だった。すり減るヤスリは次々新しい物へ交換され、朝から夕方まで従事し根気よくやっていた。当時の韓国であってさえ分の悪い仕事で、工員に若い人は居ない。
それを眺めて、彼女たちには生活の糧を得る為だったとは言え、「人のやる仕事」ではないと筆者は感じた。数千年前に廃れた石器時代の矢じりを作るような仕事が、そこに再現されていた。危険のあるマンモス狩りの方が、未だましに見えた。
ミロク社から派遣されていた中年の日本人の工場長が、仕上がった部品の精度を一つ一つ「全数チェック」していた。
これが(当時の)ミロク社流儀だった。




