王子様が少ない
「高い幸福度」について先の通り、責任の軽減化の比重が大きいと思う。が、それに加えて、恐らく更にもっと正しいかと考えるもう一つの理由がある。こっちの方が哲学的だ。「我を知る」境地と言えようか。我思う故に我あり、という有名な哲学者の言葉をもじった。
若い時には自分(=我)が分っていない:10歳の子は「一生懸命にやれば、自分も100mを10秒で走れる」と考えている。ただ一生懸命に未だやって見ていないだけだ。
20代の男の子は「一生懸命にやれば、自分が将来この会社で社長になれる」と考える。ただ、努力を未だ開始していないだけだ。
女の子は自分の器量から考えて、王子様が迎えに来てくれて玉の輿に乗るのだと期待している。ただ、現代では昔ほど沢山王子様が居ないだけだと考える。
けれども、どの夢も実現がとても難しい。現実には高い確率で不可能に近い。我を知らない事に拠る無知で、若さに共通する特徴だ。だからこそ、(期待を実現しようとして)焦り挫折しながら、無駄な努力もして心で葛藤する。数年も逡巡して迷っている内にあらた有利な転職のチャンスを失う無駄もある。人生の空回りで、この時代の大半は(生きるという面で)しなくてよい無駄が多い。思い返して筆者はそんな気がする。




