出世競争では無慈悲な淘汰
若い時は学校を出た途端に、「先ずは職に就き、自立するのが社会人の第一歩」と、叩き込まれる。本人もそう自覚していて、当たり前の事なのだが、考えてみればそもそもこれが生きる上で強いストレスの開始である。目的を設定させられ(或いは自ら設定し)、以後定年までストレスと長期間に渡って戦うことになる。
生き物の端くれだから、遺伝子を後世に伝える必要があり、為に異性を口説かなければならない。喜びでもあるが見方を変えれば、これも人生の目的であり責任とも言える。最近は独身を貫いて責任逃れしようとする人が増えているが。
責任に伴って悩みの数も少なくはない:「子育て」の責任からは逃れられない。たまにはデイズニーランドにも連れていってやらなくちゃならないし、学校の先生の進学相談にも乗ってやらないといけない。外にも「いい生活をしたい・もっと顔が良ければ・お金が欲しい」と、先行き何か不安で・いらいらし・焦る。ダーウインの進化論でないが、出世競争では無慈悲な淘汰も受けるから、そんなストレスは並大抵ではない。多くの人がこの考えにうなづくのではないか。
人生というのは何時もしっかり説明がついたり、正しい見通しを立てられるほど明快なものではない。ま、それが生きるって事なんだとは思うけれども、青春・中年・壮年時代を言い換えるならば、「焦りと欲求不満と不安と強制とストレスの時代ーーー」と言えそうだ。そんな苦労の現場にもう一度戻りたい、と筆者は願わないのである。




