歩み寄り
以上の通り、これが最も一般的な男と女のケースだとばかり思っていたが、世間では大分違うらしいーーーと番組を観て思った。それにしても:「クローズアップ現代」で取り上げられたり、AIで分析しなければならないような会話の問題は、ウチの夫婦に限り一度も発生した事がないし、今後も発生する気配は無い。無論「43バツイチ子持ちコンブ」の間でもそうだと思う。
番組で気になった点がなおもう一つあるので指摘しておきたい:近年、性による差別をしない・差別を作らないとやかましい。職業でも昔は看護婦だったが、今は看護師と言う。囲碁や将棋や、サッカーを含めたスポーツでも女性の進出が大きい。コクヨは近々「性別欄の無い履歴書用紙」を発売するらしいが、果たしてそこまではどうかなーーー? じゃ、序に年齢欄も省いて徹底したらどうだ。
ともかく、概して何でも男女は互角になりつつある。この考え方や世の流れに私は賛成で、どちらかというと女性へエールを送る方だ。
だから公共放送としてNHKが、男・女を平等に扱おうと努力する姿勢は決して悪くはない。けれども、これに捕らわれるあまり、番組の編集者が勘違いを犯している。男と女は確かに平等でなければならないが、「同じ」ではないという点だ。
今回の「夫婦間の会話」のテーマにおいて、この勘違いが顕著だった:概して、女はおしゃべりで男は寡黙な性という本質的な違いがあるのに、「同じであるべき・平等」という先入観にとらわれている。女は子を産むのに男は産まないのと同じように、どうしようもない違いなら、時代が進んでも「同じ」にはなり得ない。
結婚が破綻に至らないためには、男女双方の譲歩と歩み寄りが不可欠なのは言うまでもない。けれども、この時に「歩み寄る大きさ」は男女間で同じ大きさであるべきかどうか、である。或いは一方が「一層多く」(=不平等に)歩み寄るべきか? 番組の編集者は、そんな切り口を考えてみたろうか?




