ウチの場合は
配偶者は七十ニで体調が思わしくない時が多いが、それでも無理を押して週に一・二度は半日づつ出社し、社内で権勢を振るっている。なに、私が怠けそうになった時だけ、私に対して権力を発揮する感じで、そんな訳で私の方が「偉い」筈だが、彼女の方が「慕われ」ている。
セックスレスは冷えた夫婦関係の象徴とされる認識が、世にあるように思う。物体同士みたいに何もないウチの夫婦もそうなるのかーーーと一時は心配したことがある。が、それは必ずしも真実ではないと知った。
セックスの有無に関係なく、彼女に対する気持ちも愛情も変化していない自分に気づいて、意外に思った。これは新たな発見である:若いころは、配偶者を好きなのはせっせと励むセックスによるところが「大きい」と無条件で信じていた気がする。確かにその効果として、会話が無くても一体感を与えて二人を打ち解けさせてくれた。
けれども今では、ベッドでのエクササイズは重要でないとは言わないし、ウキウキするほど好きと言うのを否定はしない。だからと言って、それが全部ではないと改めて認識している。若い頃には気づかなかったが、むしろ年を経て知り得た事は、セックスは相手を好きな事による、むしろ副産物、或いは時々与えられるボーナスだろうという気がする。
セックスレスは冷めた夫婦関係の象徴と先に書いたが、セックスレスだから関係が冷めるのではない。冷めたから結果としてセックスレスになるのか、と考えると真実に近い。夫婦関係に占めるセックスの重要度を数値で評価してみると、「ウチの場合は」と但し書きが付くが、年齢に関係なく30%くらいではないかーーー。そんな感じだ。




