老成した感じ
対して、配偶者が私を心底どう思っているかは正確には分からない。が、もっとも控えめな目標として、夫を未だ見限っておらず「嫌いではない」ように見える。私に対してグチグチと不満を言い募り、あれこれ酷い悪態をつくのはしょっちゅうだから、ひょっとしたら案外嫌っているのかという気のする時も多い。けれども、好かれていると「思う事にしている」。
一度これを立証したいと思い、「若い時代に戻って、もう一度結婚相手を選ぶチャンスが与えられるとすれば」という質問をしたことがある。こっちは迷わずただちに彼女を選ぶ振りをするのに、相手は一呼吸置いてから、振りさえしない。こういう時こそ、大人の人間は正直で「あってはならない」のに、女は未だに態度をはっきりさせない。だから、矢張り心配と言えば心配だ。
この歳になって、残念ながらセックスは無い。「残念ながら」という枕詞はこっちの側であって、配偶者の言葉に翻訳すると「当然ながら」となって、(近くに寄ると)シッシッ!と追っ払われるから、ここで男と女の違いが顕著だ。
男というのは幾つになっても、つまり年寄ってもセックス第一の生き物である(と思う)。セックスに縁が無くなったのは、彼女が六十になって難しい病気(潰瘍性大腸炎:前首相の安倍さんと同じ病)を発症して以来で、(私を嫌いになったからではなく)体力仕事に従事出来なくなったせいだ(と考える事にしている)。なに、悪いばかりではない。若い男を追い求める事が無いだけでも、夫は安心だ。
因みに、最近の私は完成した人間として社内では老成した感じを与えるように努めている。が、複数のバツイチ女たちの前では爬虫類みたいに生き生きしていて、干からびた感じを与えないように心を砕くから、男は何時でも矛盾した生き物である。




