天まで焦がせ♪
「幸せに・好きなように」生きれば良いわけだ。だが、残念ながら、生きている限り死後の世界ではないのだから、この世は天国ではない。現実問題として努力も要るし、食うために仕事を選び働かなくてはならない。これが前提条件。
働くに当たって二十代位の若い人が、「自分の天職が見つからなくてーーー」と悩む話を時々聞くが、これは相当な未熟者で、実は現在やっている仕事が天職なのに気づいていない。川の中に居て、のどが渇いたと不満を言うのに似ている。やっている仕事を放り出して「天職を求める」なら、生涯天職が見つかるまい。ただ飽きっぽいだけで、歩けば棒に突き当たる犬と同じだろう。
年寄りが長い人生を振り返って、もし何か教えられる事があるとすれば:
私はどの時代のどの部分の人生を走っている時でも、それぞれが自分の天職だったなーーー、という気がしている。今にして思えば、それ以外に道は無かった。五倍を生きた通り天職がたった一つだと考える理由はない、(私のように)好きなだけ「幾つあっても構わない」のじゃないかと思う。誰しも才能はたった一つじゃないのだから、自分の中の違う面をそれぞれの状況に応じて出せばよい。それが人生というものであって、それ以外の場所に人生は存在しない。
天職は将来の遠いどこか分からない処に在るのではなく、直ぐ手の届く範囲に既にある。こういう言葉がある。「一生懸命になれば、人生はたまらなく面白い」 R.ファインマン Nobel物理学賞。一生懸命になるのは今の仕事の事だ。加えてこういう言葉も、私は好きである:「私は退屈していたの。それに気づくのに十五年かかった。無よりも失敗を選ぶわ。それが生きると言う事」(一線から引退して15年後に復帰したココ・シャネルの言葉)
何もやらないより何かやってみよ、人が居たら何か声を掛けてみよ、と言っているのと同じと思う。キャンプファイアーで、好きなこんな歌がある:
「炎」
♪燃~えろよ、燃えろ~よ
炎よ、燃えろ
火の粉を巻き上げ
天~まで焦がせ♪
炎は一度切りの人生。焦がすのは真上だけではない、右に燃え時に左に向かって自在に燃えるーーー、人の幸せがそこにあると思う。
完
次の新しい話へ続きます。




