『そうよ!』
私の中に多少評価する点があるとすれば、ほんの少しの積極性だろうか。こんなエピソードを紹介しよう:
つい先日の事だが、週ニで通っているスポーツジムのフロアーで、中年の女性がエアロバイクを漕ぎながら、スマホをしきりにいじっていた。ながら運転をする知らない女性である。後ろから覗き込むようにして、
「えらく熱心だねえ、彼氏からの返事を確認しているのかい?」とからかい半分に訊くと、
「あら、そんなんじゃないわよッ!」と、笑いながら女は即座に否定した。
「ウフフーーー。でもね、『そうよ!』と応えたほうが、人生は面白いよ。もう一遍応え直してみるかい?」
「アハハーーー」
これで、大概の女性と仲良くなれる。結果、私の人生も変化に富み面白くなる。多くの人は先のやり取りを聞いても、笑い飛ばして、そして直ぐに忘れるだろう。或いは「年寄りのくせに、アイツは口の上手い男だ」と軽蔑的な調子で言うかも知れない。けれども実は、この話は決して女性を口説く為の技術やウイットの使い方を教えている積りはない。男女のエロチックな話とは無関係で、真相はこうである:
当初女性が応えたように「そんなんじゃないわよ!」と反応するのは、ノーマルな返事で10人中8人はそう応えるだろう。このタイプの人の人生は、いわば先の日経の「私の履歴書」にしっくり似合う「型と伝統に嵌った」生き方を示している。ルールからはみ出すことはなく正常であるがゆえに、安心して付き合える。が、ありふれて浮気もせず、一面モノトーンとも言える。これらが、女性の返事から分かる。
対して(事実はウソであっても)敢えて「そうよ!」と応える人は、私のケースで、数として少ない。10人の中で2人位か。が、この返事には柔軟性がありなにがしかの事件と可能性を秘めているから、決してモノトーンな人生にはならない。例えば可能性として、この女性は私から口説かれるかも知れないし、悪くても友達にはなれるから、新しい展開が待っている。
些細な返事一つの違いに見えて、実は大きな差がある。一瞬一瞬、一日一日、一年一年そんな違いが繰り返され積み重なる。人生という長いスパンを掛けて到達する前者と後者の隔たりは、末広がりのように大きくなり、ついに別世界となってしまうようだ。ルンペンと社長のようなもの。
どちらが良いとか悪いとかではなく、到達する人生の違いを指摘している。




