起承転結
日経には、最終ページに毎日「私の履歴書」というコラムがあるが、大体欠かさず読んでいる。年配の著名人がそれぞれ30回づつ位のシリーズで、人生を振り返って書いている。内容は大体こうだ:「私はXXXの生まれで、XXXな努力の経過があって、事態はAへと変化し、それまでの業績が評価されて、ついにBの結果になってハッピーエンド」と。
人生に不連続な部分は存在しないし、また詳細を語る為の紙面も限られるから、「因果応報・努力結実・起承転結・ハッピーエンド」のような書き方になってしまうのだろうか。偉い人に限らず、一般に学者や研究者も、また企業の平均的社員も人生のプロセスはそうなのだろう:頑張って進学校に入り、A大学を優秀な成績で卒業し、一流のB社に入社、輸出営業課長になりついに部長まで出世した。石油ショック直後にエチオピアとの輸出商談では、ライバルを蹴落として大型受注に成功し勝利を収めたーーー、てな具合だ。何処かに必ず手柄話があり、露骨な失敗談は少ない。必須条件として必ずハッピーエンドでなくてはならない。
長年同じ会社で同じ世界に属していると幸か不幸か、因果応報・努力結実・起承転結となりやすい。生きているだけでハッピーエンドだ。そういう人は日経の「私の履歴書」も書きやすいかも知れない。お陰で読者は、人生とは全部「努力結実・起承転結・正義の味方」のルールに従うものと思ってしまう。 偉い人が書くから、余計にそう思い込む。




