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◎第十三話: ヤスリの話

第十三話:ヤスリの話


 大阪に住んでいた配偶者の叔母さんが、先月亡くなった。七十八。その日は雨降りだったが、お葬式に会葬した。自分が若い頃は余り意識しなかったが、この歳六十七になると、自分より歳上の人が、次々「死に急ぐ」ような感じに襲われる。あたかも私の為に、「次はお前の番だよ」と、道を開けてくれる気がして嫌である。


 誰しもそうだと思うが、小学生の頃は人の「死」を上手く想像する事が出来ず、自分は永久に死なないと考えていた。中学になると、祖父母が順番に死ぬのを眺めて、あんまり歳が行き過ぎると、人は死ぬらしい、そして世の中から居なくなるんだという感触を、「実感した」。こんな時、人生の秘密を打ち明けられる感じを持った。


 が、依然として自分だけは例外が適用されるはずだと、理解には未だ甘い部分があったと思う: 恐竜ではないのだから、自分が死んで化石になる事は先ずあるまい。


 学校を卒業し社会人になりたての頃、四十過ぎの上役が私の書いた文章を指でさしながら、添削指導してくれた。血管の浮いたシミのある手の甲を二十センチの間近に眺めて、世の中には随分しなびた人がいるもんだ、と思った。


 一方で二十八の歳になって、明るい材料にも出逢った。恋をした:女の瞳は緑がかった光を帯びて妖しい魅力があったし、華やかな顔立ちと豊作みたいなお尻を眺めて、これは永久に歳を取らないピカピカの女だと、誤解した。色付きの目薬と熟達した化粧のわざで磨かれていたから、そう錯覚させられたのだ。


 そんなピカピカを気に入って、頬ずりをして見境も無く上から下まで完膚なきまでに抱き締めたら、冬でも暖房機器は要らず、その代わりに自動的に子供が出来た。ここを起点に人生の計算は「複数+アルファ」となり、飛躍的に複雑になる。


 三十になった。自分が尊敬し傾倒していた眼光人を射る五十過ぎの立派な課長が、当時社内に居た。ある時取引先の接待で一緒に連れて行って呉れたバーで、課長の横顔を眺めていたら、はみ出た鼻毛に白いのが一~二本混じっているのを発見。これを眺めて感じ入り、実にがっかりした:「幾ら眼光鋭くても、アーなったら、人生もお仕舞いだなーーー」 サラリーマン生活の将来が粉砕される思いがした。


 ついに四十になったら、風呂場で自分のチン毛に白髪を二本発見して、「どえらい事になったもんだーーー」と、すくみ上がった。若白髪は見たことがあるが、若チン毛など聞いたことがない。知らぬ間に男盛りが過ぎていた。サラリーマンは「これからの努力」で将来が決まると、偉い先輩から聞いていたので、これから努力しようと思っていた矢先に、もうコレだ。


「この白い二本が長足の進歩を遂げたり、外にも同所に大挙して夥しい数が現れたらどうしようか。ただちに染めなくては」と、本気で考え込んだ。パーマ屋へ行くわけにもゆかず、黒マジックペンが好いかと、三日間思案した。数々の対策を検討した末、ついに「根絶やしにすべき」との残酷な結論に達し、思い切って二本を引き抜いて痕跡を無くした。幸い配偶者にもバレなかった。


 たまたま母親の手を眺める機会があった。六十七の母親の立て筋だらけなった手の爪を眺めて、感嘆と恐怖が入り混じった。これは一体何のタタリか?:「ヤスリ代わりで便利とはいえ、歳が行くと人間ろくでもない道具へと進化するーーー」

 加齢の原因はいまだ謎に包まれており、更なる研究が必要とされているが、研究は遅々として進んでいない。押し出しが立派にならない内に、何時の間にか私も昔の母親と同じ歳に達してしまった。


 自身のヤスリになった爪と、下を見れば、海底はおおいつくす白いチン毛に圧倒されている。「三十八のバツイチ女」の文子ちゃんと骨身を惜しまずやっている浮気は、もうよそうかしらーーー。老人はくよくよして意気消沈し易い。性的乱脈振りを正すべきかどうか、日夜弱気になって悩んでいる。


 小学生時代、永久に死なないと思っていたのにーーー。振り返ると、実にあっけない。多少はお金が出来たかと思ったら、昼食の食欲は精々ダスキンの100円のドーナツ1ケで満腹。これじゃ、性欲まで回らない。何時の間にか人生のアカが浸み込んで、シワシワの顔には喜怒哀楽に差が出なくなった。笑っているのに憤怒しているように誤解される。体中を眺め回せば、何処もかしこも死がすっかり自分になじんで、その方面の通みたいに似合い、何処から見てももう絶滅危惧種。


 皆さま、疑う事無く、これを信じて「生き急ぎ」ましょうぞ。貴方が考える程に、人生の時間はそんなに多くありません。

   

比呂よし




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