精霊
割と頻繁に父母の墓に立ち寄るのは、帰宅途中に少し遠回りすれば寄れる距離にあるからだ。神戸市が40年ほど前に市民の為に造成したもので広大な上に、よく整備されて美しい。数は何千基あるのか、あるいは万単位なのだろうか。丘陵を整地して作ったから墓石の間隔も立て込んでおらず、適当な間隔があって気持ちがいい。
お参りするのは風の無い夕方が一番。大きな墓地であっても、辺りに人はおらず大抵私一人きりで、広い空の下で針一本落としても音が聞こえそうにシンとしている。
昔の墓石の形は大体決まっているが、ひときわ大きな墓石を聳え立たせて、xxx家先祖代々という感じのも多いが、西洋式に芝生の上に石板だけをちょこんと建てたシンプルなものもある。清楚な感じで、如何にも個人を感じさせて好きだ。そんな形式の墓石だけを一角に集めてあるから、神戸市もデザインの統一を図っているのだろうか。
最近のは様々な形式がある。そんな西洋式のものには、「やすらぎ」あるいは「愛」と象徴的に書き、側面に本名を小さく彫っているのもある。凝ったのは墓石を本(聖書風)の形にしているのもあって、それぞれだ。
林立する墓石を眺めて、お金持ちも貧乏も出世も無く、嬉しがっても悲しがっても、人生のほんの一時期だった、と感じるのもこんな時だ。
墓地という言葉や場所に対して一般にネガテイブな心持を抱く人が多いようで、怪談話が作られたりもする。が、私はなにかしみじみとしたものを感じて、訪れる度に心が落ち着く。やや厳粛な気分に浸りながら、神社の境内を散策するのと少しも変わらない。もし幽霊が出るとしたら話してみたいと思うから、大抵夕方に訪れるはそのせいだ。どんな精霊にも未だお目に掛かれていないのが、少し寂しい。




