思い悩むことは無い
その意味では、私は幸せな部類かも知れない。仕事が(立場上)「生涯あり続ける」からだ。お陰で合間合間に発生する「ヒマが貴重」になるから、庭の草むしりが楽しみだし、ジムでみいみさんと話をしたり、父親大好きな女子大生をからかったり、「四十バツイチ子持ちコンブ」に逢うのが、充実した楽しみになっている。
毎夜英語の本を片手に寝床へ入るのが、それが寝付く前のたった三十分でしかなくても、そのヒマが貴重な楽しみになっている。最近は滅多に機会がないが、JRの駅で聞くR( アール)の利いたアナウンスも楽しみの一つ。
私が他の人へ老後の指南が出来るとすれば、ただ一言:「死ぬまで、幾つになっても仕事を続けなさい。なぜなら、合間に与えられるヒマこそが貴重で充実したものになるから」。 仕事に疲れてのどの乾いた時に飲むビールが、一番ウマイのと同じと思う。
あるかと思うのは間違いで、悠々自適な天国はこの世には存在しないのだろう。いや私がそう言うのではない、学校の先生の教えですらない、実は進化によってそんな遺伝子が人には「埋め込まれていない」からだと私は信じている。代わりに「仕事をし・人(=仲間)の役に立てる」事に喜びを感じるように、遺伝子されている筈だ。これは恐らく、老後について小賢しく考えようとする「理屈の議論」ではない気がする。
でなければ、人はもっと早くに「老後前」に死んでいてもよかった筈だ、という事になる。人類の進化論に素直に従えば、即ちこれにちゃんと気付けば、老後の生き方に思い悩む事はなかろうと思うのだがーーー。
完
2020.1.18
 




