練習すればよい
英語を仮にペラペラにマスターしても、一体何人が観光客の道案内する機会があるのか。何人が外資系の会社で働きたいのだろう。リンゴを作る農家に英語が必要か? 私が良い例で、年に一二度なら詰まり詰まりしか話せなくなるけれども、それで充分ではあるまいか?
外資系会社を35年間あやつって、問題なく経営出来ているのが何よりの証拠と言えそうだ。ペラペラであることは(それに越したことは無いが)、決して重要ではないと分かる。
語学はあくまで単なる道具であって、学問ではない。普段必要としない道具を何時もピカピカにしておきたいのは自己満足でしかない。外にやる事があろうに、自分が歳を取らないと思い込んでいるせいか、有閑階級のカエルみたいに英語・英語と大合唱するのは、キチガイ沙汰!としか思えない。
その道に進みたい人・仕事で必要な人・朝から晩まで毎日道案内したい人が、身を入れて「練習」(=「勉強」とは言いたくない)すればよい。今のまま、中学・高校で基礎の手ほどきを受ければ充分と私は考えている。それ以後のプラスアルファは必要に応じて自分で練習するなり、街の語学学校へ通えばよいのではないか。
ねえ、そうでしょう?
 




