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知恵が浅かった

 幸せに生きるのが人の生きる目的であり、一度しかない人生がイチかバチの賭けであって良い筈はない。「ベンチャーを起業する」の一言だけで、半分キチガイ以外の何物でもない。沢山ある分岐点での選択がその都度そんな「向こう見ず」なら、これに人生の長さを掛け合わせると、地球人と火星人位の開きが出来てしまい、顔は同じように見えて別の生き物になる。

  

 今回の「みいみさんの口説き事件」や「SAKIワシャ開発」のケースに限らず、これを機会に自分の人生を振り返ってみた。「人から見て」向こう見ずに思える場面が過去に何度あったかーーーと。年代の順に挙げると、次の通り:

 大学卒業時に、主任教授(岩佐先生)に逆らって、紹介された大企業(=川崎重工業)への就職を断った。いい大学に入るのは幸せを保証された大企業に入るのが目的の筈だから、級友たちが私を「変人」と見なしても当然だったろう。私は遥かに小さなT社を選んだから、「向こう見ず」の始まりで、リスクの方を選んだ。

 大阪のT社は中堅企業だったが、私は当時の専務から(何故か)特に期待された。同期20名から一人選ばれて会社の輸出部門を担う者として、「特別に設けたコース」で訓練された。言うなれば将来を約束された間違いの無いエリートコース。


 けれども8年居て辞めて、高知へ行く決心をした。同期の人達は不審に思ったろうし、会社はがっかりしたし、親は反対した。人生を棒に振るような行動に見えたろうから「向こう見ず」だった。因みに、同期20名で私以外は全員定年退職まで勤め上げ、一人は専務へまで出世した。


 あにはからんや、転職先の高知の会社には7年いて、八年目に潰れて失業した。

 親子四人が路頭に迷いかけたのを、拾ってくれたのは小さな外資系の会社。そこの社員として一年半が経った時、会社の乗っ取りを企んで、悪いことは出来ないもので、計画が露見した。


「恩知らず!」と言われて叩き出されて、再度失業する羽目になった。計画が甘く失敗は知恵が浅かったからで、「次こそは上手くやろう」と性懲りもなく誓ったのは、これも「向こう見ず」の代表格だ。


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