ダメ元でいい
3.ケース④
私が人と違うと思う四例目。
毎日の仕事の中で、他の人との間に「違和感を感じる」時があると先に書いたが、直近の例を挙げる:
私は最近SAKIワシャ(=テコでも緩まないナット)という新製品を発明した。有用で将来有望な製品だ(と私は信じている)。だから特許も申請した。手のひらに乗るミニサイズのサンプルを作って、スポーツジムの人達に見せ、銀行家にも見せ、取引先の個人にも見せてやった。素人もおれば、その方面のプロもいた。サンプルを眺めてお世辞も含めて「面白い・素晴らしい!」と言わなかった人は、居ない。
普段メールのやり取りをするメーリングリストの人たちにも紹介したし、無論息子達も知っているから、身の周りに延べ100名以上はおろうか。まだカタログさえ出来ていないがーーー。私が「違和感」を感じるのはこんな点:
まず私は充分な年寄りである。私を眺めて外の人もきっとそう思うに違いない。儲けた金の使い道がない筈なのを知っている。また、言い触らしていないから、私が会社経営者と知らない人は多い。だから、市井の退役老人がある日手慰みで「こんなアイデアを、たまたま思い付いた」のだ、と信じた人も少なくはない。事実そうである。特にジムの人達は積極的にそう思った筈だ。
それならばーーー、「お前は明日をも知れぬ年寄りなのだから、この製品の事はワシに任せろ。起業して大儲けし、きっと成功してみせる。お前にも半分分け前をやるから、やらせてくれ」と、誰一人挙手をしなかったのは何故か? これを私はとても不審に思う。
もっとも、私がそう誘った事は一度も無いけれどもーーー、そんな周りからの反応の無さに「違和感」を感じる。上手くやれば、その人は会社を起こせて社長にも金持ちにもなれる。人生で滅多に無い「夢のあるチャンス」だのに、と私は思うからだ。
立場を替えて、もし話を伝え聞いたのが「若い私」であったなら、(断られても、しばかれても)挙手したと思う:「(自分に金は無いけれども)私にやらせてくれないか。分け前は2:8でも構わない。頼む!」 ダメモトでそうお願いしたと思う。だから挙手する人が閑古鳥な現実に、違和感を覚える。
お気づきだろうか? 私は先とそっくり同じ場面を繰り返して書いている:「どうして誰も、素敵なみいみさんを口説かないのだろうーーー。でないと、他の人に獲られてしまう。(口説いて振られても)ダメモトで、いいじゃないか!」
煽り立てるように書いたけれども、心から「そのように」私は思う。これを考えると、みいみさんを口説く人か口説かない人かの差は、助平かどうかではなくて、人生と言うスパンで見ると、実は社長になるか成らないかの差に繋がるという気がする。




