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刺激を求める

普通、個々の人の間には見立つような明確な違いはなく、一見同じように見えるものだ。人は同じに見えるように振る舞うともいえる。でないと正常な社会生活が送れない。例えば路上で、もし向うから魅力的な女性が歩いて来た時、「好きだよ、ここでセックスしよう!」なんて言い出す人格の男が居たとしたら、即刑務所行きとなる。同じに見えない人は、社会から排除されてしまう。

 そうならない為に、人は「目立つ」ような自分のクセや人格を隠くそうとする。


 だからこそ、人を本当に見ようと思えば、耳を澄ますようにして細部を観察しないといけない。が、これは言う程易しくはない。特に自己分析する場合には、癖の存在すら本人が気づくのは難しい。個々の人はそれぞれ随分と違う:歯の磨き方・道の真ん中を歩くか端を歩くか・納豆が好きか嫌いか・セックスの作法に到るまで、同じ人は居ない。

 神は細部に宿り給うという言葉の通り、細部の寄り集まりで人全体が出来ているのを思えば、細部への拘りが分かると思う。


 私の車の運転振りも「細部」で、他の人と一見大した違いは無いように見える。けれども私の中では同じではない:150mの距離を走る間にたとえ数秒であっても、「車のスピードによる小さなスリル感(=刺激感)」を味わえる! スリルはスピードにある。他の人の運転には、それが無い。「有る」のと「無い」では随分と違うではないか?


 こんなクセに気付いて、自分は信号機まで僅か数秒の事であっても「平均の人」に比べて「より多くの刺激」を求めるタチなのかーーー、と発見したのである。


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