サイコパス
3.自分探し
一人旅をする時、「自分探しの旅に出る」なんて言葉があった。何やら格好がよさそうだが、実態はどうだか? 探さなくても自分なら、すぐ目の前にありそうに思うが。
今回私は旅こそしなかったが、「みいみさん」のお蔭で「自分とは何か」と考える機会を与えられた。
機会を利用して:小学校の通信簿まで遡って考えて、気付かなかった自分を再発見したし・分からなかった複数の事件の真相も解明され・人生を見直す事となり・結果として大変有益であった。目からウロコが落ちた気がしたというのは、本当である。
余りに悟る処が多かったから、これじゃいけないと人生を新規まき直しでやり直そうと思ったのだが、配偶者から「アンタ、歳が幾つだと思ってんのよ!」としばかれて、やり直しは中止した。それでも、私が到達した「結論の一部」を先に一つだけここへ添えるなら:私の助兵衛は「間違いなく」生涯治らない、と判明したのである。
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元へ戻って、先の「みいみ事件」の「真の動機」を調べてみようと、そんな奇妙な考えにとりつかれたのは、自分が普通の人と何処か「少し違う」と普段から自覚しているからだった。今まで深く考えたこともなかったが、この機会に考えてみた。だからと言って、自分が精神異常でもないし気違いでもないし、とりわけサイコパス※でも無いのは確かだ。
※サイコパス: 精神病質(=精神病とは言っていない)で反社会的人格(=「反社会性人格障害」という言い方もする)。この範疇には二種類あって、首尾よく振る舞って逮捕歴の無い者もおれば、重大事件を起こして不首尾に逮捕される者もいる。「反社会的な存在(人)」というのを特徴とし、犯罪心理学の用語である。
私は(過去も今も)仮に精神病質だとしても、反社会的な人間はでないから、サイコパスに関係がない。そう言ったものの、(追って説明するが)サイコパスとして特徴づけられる多くの部分が、私の中にも共通して存在するのを認めざるを得ない。そう言ってしまった以上、私は二度と就活の面接で合格出来ないだろう。
一般には、人との違いを個性と言う便利な言葉一つで片付けてしまいがちだが、私はどこか何か「少し違う」。若い頃からそう感じて生きて来た。実際、もう死んだが、母親に昔何度か「お前は変わり者」言われた事がある。少なくとも十回以上。
けれども、これは相対的なものと思う。なぜなら私の側から見れば他の人達が随分と「不自然」に見えるからだ。手短に言えば、「みいみさん」を口説く人か口説かない人かの違いになる。民主主義の立場にすれば、多数決で私(=口説くタイプ)の負けになるのだろうが、例えば私はこう思う:




