第二の故郷
5.第二の故郷
母の病状が回復し、やがて弟妹達と共に神戸の実家へ戻された。広い場所から急に狭い所へ押し込まれるみたいな息苦しさを感じたのを覚えている。多分学年の切り替わりに合わせたろうから二年生の終わりだったと思う。
転校しても進級しても私の成績の良くないのは相変わらずだったが、そんな切っ掛けがあり、小四の頃から毎年夏休みを過ごす為に、決まって子供達だけで神戸から汽車に乗り岡山まで、私が弟妹達のリーダーよろしく先導して母の実家へ遊びに行くようになった。広い場所へ移動する気がして、楽しかった。
複数の池がある広い敷地はよい遊び場だった。この頃には自覚も多少出来て、庭の芝を刈ったり、小さな小屋で飼っていた四~五羽の鶏に、青菜に糠を混ぜたエサを作ってやったりした。芝を刈るために鎌の研ぎ方も教えて貰った。いや、本当は多分母親から「お手伝いしなさい」と神戸の家を出発する前にきつく命じられていたからだろう。自然発生的に「お手伝い」をやったなんて考えられない。
園庭のあちこちにスギナの群落があって、春の名残のツクシが夏になっても未だ所々残ってあったが、幼い折の思い出にふさわしい野草である。今の歳でも家の近所の池の周りで春にツクシを見ると、岡山を思い出す。これを毎年の夏の行事として繰り返したから、何時しか心の中で岡山の大きな家と広大な敷地や池やツクシや山が私の第二の故郷になっていった。
その頃に泰子お姉さんは勤め先の関係からか、実家から離れて岡山市内に一人住まいしていたようだ。岡山へ遊びに行っても会う機会はめったに無かったが、ほのかな思慕の念がその家の中に入ると、残香を探し求めるように甘くさ迷う気がした。




