大いなる遺産
2.大いなる遺産
けれども経済面でのそんな成功にも拘わらず、人生の先は誰にも分からない。今や老夫婦となった二人は、あろう事か三年前に大きな悲劇に見舞われた:たった一人の娘に、当時58の未婚だったが、突然先立たれたからだ。親に先んじるなんて、親不孝な娘だ。何の前触れもなく、脳動脈破裂だったと聞く。
夫婦の嘆きは察するに余りあり、娘が生き返るものなら自分達の資産など要らないと思ったろう。生きる望みを失い暫くは泣き暮らした。億万長者が最も大事なものを失い、最大の孤独者になってしまったとは此の事である。昔はやり手だった流石の夫君も、ショックが為に一時うつ状態に陥った。三年が経って少しは立ち直っているが、今も夫婦二人の悲しみは大きい。
一人娘に遺す筈だった何億円かの全資産が宙に浮いた。これを譲るから、二人の老後の後見人になって欲しい、と泰子さん夫婦から私が頼まれたのは最近の事である。遺産を引き継ぐ者が甥に当る私一人しかいない上に、夫君側にも人が居ないからだ。
チャールズ・デイケンズに「大いなる遺産」という物語があるが、状況が少し似ている。金の無い男がある日藪から棒に富豪の遺産を引き継ぐ話だ。また明治期には「高等遊民」という言葉が流行ったそうだ。漱石の小説にもそんな人物が主人公として登場する。高等教育を受けた人が、定職に付かず親の大いなる遺産で読書三昧や趣味にのらくら生活する人を意味したらしい。
そんな話は架空の物語だとしても、如何にもラッキー過ぎて読む方も白ける位なものだが、それが現実に私に起きたのである。