一人会社
上の四つのいずれのケースも、部下からのお伺い→上司が裁可して許可と指示(命令)をしているように、一見そう見える。けれどもそれは形式だけで、私の返事は毎回決まっている:「そうし給え!」
私はこう訊く:
「君はどうしたいんだね?」
「XXXしたいのです」
「じゃ、そうし給え」、である。
社員からの提案や考えが余程非常識であったり危険であったり、気が狂ったりしていない限り、「そうし給え!」である。但し、「業績さえ上げればーーー」の条件が付くけれども。
しかしそういう条件がありながらも、最初は「やってみないと分からない」事が多い。「上手く行かなければ、会社が多少損をするなあーーー」と内心で思っても、「そうし給え!」で私は通す事にしている。開発の仕事の場合は特にそうだ。大儲けしなくても、皆が楽しくやりたい事をやり、そこそこ豊かに食えればいいじゃないか、という考え方が基本にある。
管理監督が面倒だから、どの仕事も社員に等しく全責任を負わせている。新人・老若の年齢に関係がない。誰もが「一人会社」を経営しているみたいである。自分の業務の上司は自分自身で、強いていえば社長の私一人が総上司に相当するが、私は研究室に籠って実験ばかりやっている。部下を監督しない代わりに、私は実験と開発に余念が無い。人に命じない代わりに、私を手助する人も居ない。
「子持ち昆布」が先の会話で訊いた「誰も(部下は)手伝わないの?」の疑問に、答えた事になろうか。
中には前職の会社で上から管理されるのに慣れ切った社員がいて、思わぬ責任を一括任されて、「ここでは、私の仕事を誰もチェックする(=管理監督する)人が居ないのですか!」と、責任の重さにベソをかいた人が昔居た。当たり前だが、自由度の高さ(比例して仕事も面白いが)には、責任の高さが付いて回る。
管理監督者は実質存在しないので、カリフォルニア州のトップのトマト加工工場と日本のエンジニアリング商社という業態の違いはあるが、結果的に同じようだ。ウチも小粒ながら小さい業界内で、トップの積りでいるから。いや本当を言えば、多分ウチの方がモーニング社以上にもっと進化している。が、岩岡村にあるのと三つ切りの特ヘレカツのせいか、学術界から誰も調査研究には訪れない。




