日本の文化
という訳で私の経営論は進化論を含んで勝手に壮大になったが、元へ戻す:
日本国を一つの巨大な会社になぞらえられると思う。社長といえば、当然首相の安倍さんになるだろう。けれども安倍さんが「明日はXXXをせよ・+++だけ稼げ・山口県へ出張せよ」と貴方に命じる事は無い。だから、安倍さんは日本国株式会社の社長でありながら、実は貴方の上司ではない。
会社になぞらえたけれども、安倍さんは「北方領土を返せ」とロシアと交渉する仕事をやり、貴方は日々の稼ぎにコツコツ専念する。同じ日本国会社に属するけれども、それぞれの分担は違うし、責任もそれぞれある。
日本国という会社には「上司も・部下も・命令も」無い。それだのに上手く「自律経営が出来ていて」、結果的に対外収支は黒字だから、日本国株式会社は儲かっている事になろうか。社員に相当する国民は退職金にあたる年金も貰えて、それなりに幸せな生活を享受している。
安倍さんには失礼だが、交代して仮に他の人が首相になっても、日本国の経営の基本部分は変わるまい。つまり、「(社長に当たる首相が)大して何もしなくても、日本国という会社はそれなりに上手く経営されて行く」ことになる。この不思議はなぜだろう。
学校教育制度も含めて、それが「日本の文化」だからではないか? 安倍さんは日本国というブランコを小手先で揺らしている。首相が交代して大きく揺らす人もおれば、小さく揺らす人も要る。先に言った「会社の文化」という意味が少しお分かりになりましたか?




