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梅の木

4.梅の木


 夫が死んだ七年前からずっと、神戸から遠い田舎町に母は私の妹と一緒に住んでいる。決して豊かな暮らし向きとは言えない。不仲だった筈だから、大いに矛盾していると思うが、母は夫が死んで以来非常に寂しがり、持病があったわけでもなく充分なお金も持ち家もあったのに、一人きりで暮らすことをようしなかった。


 当初は母に神戸にあるましな老人ホームに入って貰って、会社の行き帰りに私が時々立ち寄るアイデアを考えていた。私の配偶者が難しい病気だから到底同居は無理で、そんな説得をしたがお嬢さん育ちの甘さのせいか、母の独立国家の樹立は実現せず、結局私の妹と同居する事になった。


 足をさすってやろうと思った。自分の体温を分けてやりたかった。布団を少しはぐると細いすねがあり、膝が竹の節みたいに出張っていた。ふくらはぎの辺りを揉むようにすると顔をしかめたから、代りに軽くさすった。


 繰り返しさすっている時に、定時の介護を頼んでいる五十過ぎに見えるヘルパーさんが来た。「息子さんですね」と、私の顔を見て直ぐそう訊いた。頷くと、「お顔が良く似ていますもの」。相貌が変わって死のうとする人の面影が、元気な私の中にあるのが不思議である。足をさする私を眺めて、ヘルパーさんが顔を向こうへやって涙ぐんだ。


 顔を見るまでは積る話が沢山あるかと思っていたのに、本当は話をする事はもう何も無いんだという気がした。話さなくても互いに何もかも分かっていた。愚痴も不満もーーー、今となってはもう過去の事だ。


 ニ時間後に帰りの急行列車に乗らなければならないから、再び生きて会うことはもうない。母の孤独を思い、さするよりも赤ん坊のように抱き締めてやりたかった。けれども、そうすると母の体がばらばらに壊れてしまう気がした:「たはむれに母を背負いて/そのあまり軽きに泣きて/三歩あゆまず」、啄木の歌を思い出した。

   *

 九日後、妹一人に見守られて母は逝った。身内だけの簡素な葬儀であった。焼き場で待つ間に、隣に座った妹が手持ち無沙汰に、「数えで九十」とポツリと言った。それまで八十九と私は信じていたから、母が一つ得をした気がした。「それは良かったな、母さん」と、心で呼び掛けた。


 骨を拾うまでに間があって、焼き場の傍にある中庭へ一人で出た。ニ月の冷たい風に当たって大きな梅の木が一本立っていた。今は人手に渡っているが、須磨の昔の実家にも小振りな梅の木があったのを思い出した。

 枝に沢山な堅いつぼみが並んでいたが、その中でニつか三つが間違えたようにほころんで白い花になっていた。このところのぶり返した寒さと今日の風で、他はつぼみのまま止まっている。


 花の一つへ鼻をすり寄せてみたら、あるか無いかにかすかに匂った。昔懐かしい気がして骨の奥にしみた。「幸せなほう」と母は言っていたが、夫は先で出迎えてくれたろうかと、ふと気に掛かった。


 葬儀のゴタゴタが終わり夜になった。骨壷を部屋に安置して、大きな白いユリを一つ添えたら、母がそこに未だ生きている気がした。品のある花の白さが岡山の名家のお嬢さんに相応しかった。強かった昼間の風はいつしか夜になって止んでいた。部屋の中が静かな時をいつまでも刻み、夜がしんとして更けた。 


  完

比呂よし



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