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幸せ

 人はその為に生きていると思うから、一番に「人の幸せ」について考えてみる: 知り合いに女友達がいて、親しみを込めて「四十三バツイチ子持ちコンブ」という長いあだ名をつけている。子供は女の子一人で高校三年生。このバツイチ女に「君は幸せかい?」と、二度ばかり訊いた事がある。


 時期と訊ね方はそれぞれ違ったが、決まって「幸せよ!」とはね返って来てためらいが無かった。単純と言えば単純だけれども、気持ちがいい。同じ質問をされると、こっちなんか天邪鬼に考えて如何にも惨めで不幸そうな顔をしたがる方だから、彼女にお金があるとは思えないが、「本当に幸せ」なのだろうと思う。それだけで尊敬してしまう。


 はて、それなら「幸せ」とは一体何だろうか? 


 人は幸せに成りたい筈だ。誰にも異論のない処を挙げれば、例えば何時の時代でも「恋をしている」二人は、幸せを「実感している」と思う。世界中が自分のものになったと感じ、そこには年齢も貧乏も金持ちも国籍も関係がなく、一緒に居るだけで恋人同士は「純粋に幸せ」であるに違いない。


 先の「子持ちコンブ」の女の返事と合わせて、「幸せ」とは本人が「そう感じるかどうか」の意識の問題だと分かる。「幸福感の有・無」だけなら、幸せは人それぞれの心の内にあって、求めても外部には存在しないと言えよう。


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