当たりくじ
7.当たりくじ
エッセイを書きながら格闘の一年を振り返って思うのは: もっと若い時代、同じアイデアを例えば会社設立の初期に思いついていたら、商品化に至ったろうかと、ふと思う。
若い時は「若い」というだけでエネルギーもあるから、人は何かしら「何時も駆け足をしている」ような考えにとりつかれている:アレもしたい、コレもしたい、アレは美人だ、この女もいいーーー、と落ち着きが無い。
そんな中ではじっと一つのアイデアを「育む」だけのゆとりが無かったように思う。仮に思い付いても駆け足の最中だから、深く追う事はあるまい。
今は会社がある程度安定し、足元がぐらつく事も無く、時間的なゆとりも持てている。人生に余裕があるという意味で幸せである。
一方で肉体的にエネルギーも足りないから、アレもコレもしたいとまでは考えない。エネルギーを限られたものに注力出来るからこそ、開発が「長々と」継続出来たのだし、商品化されて「日の目を見る」事になった。つくづくそう思う。
残業が無いとしてもウチの若い社員たちは日々忙しいし、休日も遊ぶのに忙しい。(彼らに比べれば)私は暇と言える。だからこそ、こうしてエッセイも書けるのだし、字の練習も出来るし、晩御飯のおかずも作れる。心ならずも配偶者の体調が思わしくないから、一緒に旅行したり出来ないから、私は日曜日に会社で簡易ベッドに寝転んで、好きな本を読んだり何かアイデアを探る以外に無い。
私は決して天才ではない、今の私と若い人の違いは「それだけ」だ。
同じ思い付きを得ても、立場の偶然の違い・状況の変化・心の余裕に拠って、最終の成果は異なってしまうようだ。多分世の中や人生とは、そんなもんなんだと思う。人生の長いスパンから眺めると、ある考えを人生の初期に思いつこうが後期に思いつこうが、昨日でも今日でも、どっちでもよくて、その時々の状況に合わせて、やりたいようにやれば良いのではあるまいか?
そんな事を考えていたら、数日前に日経新聞を読んでいて、偶然こんな言葉を拾った:
「人生すべて当たりくじ」(塙氏:イトーヨーカ堂)
前向きに捉えて行動すれば、人生に不運なんてなくて、良い結果に繋がるという意味。
配偶者の病気という不運が、テンションナットの開発の成功に繋がっている。生きるのに前向きにさせてくれる、良い言葉だと思う。




