悩ましい問題
7.悩ましい問題
行きつ戻りつ発狂もせず、牛を一頭食い殺し、途中で行き倒れにもならずーーー、浮き沈みが有りながら、夢のような一年が過ぎ去った。思い返せば、新聞沙汰になるような危険な事は滅多に無く、俳句か詩のような表現にふさわしい月日であった。儲かるぞと何社かの下請けを騙したが、良心の呵責を感じる程ではない。
一年と言う年月があれば、どんな物語にもハッピーエンドがあるから、私の話も例外であってはならない:やれ嬉しや、辛抱強い神は私を見捨てなかったのである。製品はやっと技術的にパーフェクトの域に達した。
あらゆる想定の条件下で、「緩まない」のを達成したから、完成した製品はガッカリと汗とノウハウの塊である。歴史的な快挙。配偶者は何もしなかったから本人は感動しなかったが、こっちはよくやった気分がして油断したせいか、インフルエンザに罹った。
けれども一年が経って私を待ち構えていたのは、一層悩ましい別の問題であった:
ご存知だろうか、街を走る乗用車が数百万円ポッチで安く(?)買えるのは、メーカーが同じものを何百万台と量産するから。もし同じものをたった一台しか作らないとしたら、一億円を軽く超える。そんな事「知っているよ!」と言うだろうか? 心底知っているかどうか、私が厳しくテストしてみよう:
先ず前提条件として、当該の新製品テンションナットM36のサイズで、例えば1ケ30万円の「値付け」をして売れると思うだろうか?である。トヨタがマークXを一億円で売り出したら売れるか、と訊くのと同じ質問。M36のナットと言えば、手のひらに乗るたった3.6センチ内径の物ーーー、「売れる訳ねえだろ!」。これは素人でも推測が付く。
それでも、1ケだけ作るなら先ほど言ったように、製作費は25万円だから、こっちとしては30万の値付けなら、破格な大安売りになる。
このロジックは悩ましい。何故なら「売れるかどうか、未だ先行きが読めない段階」で、値付けを数万円に下げる為には、M36のテンションナットを「少なくとも」100ケは量産で作らないといけない、のを意味しているからだ。
一層の悩ましさは、そんなにして値段を下げたからといって、売れるという「保証が無い」事だ。なにせ、世の中に存在したことがない製品だから、売れるかどうか見極めが付かない。百万円のお化粧をしても、異性にモテる保証がないというのと似ている。




