違う人
4.違う人
スイカを買わず暗くなったキツネ坂を歩きながら、釈然としないものを感じた: 子供の頃の懐かしい感傷に引きずられて、店の前で多少の逡巡はあった。が、再度どう思い直しても、切り身を買う気にはならなかったーーー。
「だのに」叔父さんは、当時スイカの切り身を買ったのである。会社の帰り道という同じ場面と時刻に遭遇しながら、自分は買わないのに、叔父さんが「毎晩買った」のを不思議に感じた。気持ちをどう重ね合わせて見ても、納得が行かない。
口から種を飛ばし食べ散らしながら歩く叔父さんの姿を想像してみた。私と同じように手にカバンを持っていたろうか? いや、何も持っていなかったに違いない、そんな気がする。カバンを持っていたらスイカを食べ難い。が、それは大した事ではない。いやいや、この違いは案外大した事だったかも知れないーーー。私は長い通勤時間に耐える為に、カバンに何時も読み物を入れていた。叔父さんは本を読まない人なのだなーーー、と気が付いた。
須磨駅で降りて通りすがりの店に赤い切り身を見て、「食べたい」と決断するや、何の迷いも起きなかったのか? 道々スイカの種を口から飛ばす叔父さんの遣り口は無作法ではあったが、一種の果断には違いない。
帰り着けば直ぐに夕飯と判っていて、甘いものを胃袋に入れる頑健な食欲に、自分には無い「野性的な逞しさ」を感じた。自分とは随分違う種類の人間だったんだなーーー、とこの時初めて叔父さんを正しく理解する気がした。子供の頃の夢と拘りが、淡い薫りを残して溶けて行くのを感じた。
その後叔父さんには、親戚の法事などで時たま会う位の機会しかなかったが、会う度に何かしら「自分とは違う人」という気がして、何時も一歩下がって接するクセになった。
どさりとくず折れるように息を引き取ったのだ、と聞いた。如何にも果断な叔父さんらしい死に方だと思った。死んで、もう15年以上になるが、キツネ坂のあの時の気持ちを、今の歳になっても私は不思議によく覚えている。
完




