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量産向き

3.量産向き

 小学生のような時代から身近に英語に接する機会に恵まれた人は別にして、大人になってから(私の場合のように大学を出た位の歳から)語学を身に付けるのは、確かに並大抵ではない。悲しからずや脳が既に柔軟性を失っている。

 これを考えると、小学生以上の人では若くても「年寄りのボケ」を笑う資格は無い。大学を出た途端、もう自分もボケがスタートしている。


 そんな残酷物語はさておき、過去を振り返って、私には(英作文が)出来るようになっているのに、何故息子達に出来ないのかを考えて見た。答えは案外直ぐに分かった:


 町の語学教室は、お喋りが中心で「書く事」は基本的に教えないからなのだろう。なぜ教えないかの答えも合わせて分かる。複数名、時に十数名の生徒へ教えるには、お喋りを教えるのが「一番安上がり」だからだろう。先生一人が喋れば生徒全員が一度に聴けるから、量産にもってこいだ。が、時間を掛けても、ビジネスで使える力は付かない。


 対して、書き方を教えるには、生徒が書いたのを一人一人赤ペンで「添削」しなければならず、個人教授に成る。それぞれ間違う処も違う。町の教室は商売だから、そんな事をやっていてはペイしない。学校でも似たような事情:クラスに仮に三十数名の生徒がいるとしたら、個人指導で添削をしておれば、先生の時間が幾らあっても足りない事になる。

 かくして、どうでもいいような(?)日常会話がペラペラ出来ても、関係代名詞を使った長い文を書いて、丁寧に人を説得する事が出来ない事になる。


 それならばよし! 代わりに年寄りのボランテイアとして、私が引き受けよう、と決めたのである。


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