ミサイルが飛来
9.ミサイルが飛来
欧米では、花瓶に赤や黄色の花を色とりどり山盛りに入れる。そうする代わりに、朝顔をたった一輪だけ投げ込んで楽しんだり、掃き清めた庭に数個の石を配置するだけの石庭など、言い換えれば「何も無い」処に美を見つけるのは、果たして日本人以外に世界に存在するのだろうか? もっとも高度な感性と知性を有しているのが、日本人だと私は思っている。
前半で、恰も日本人にはユーモアやジョークを理解する心が乏しいかのように書いた。けれども、安心して欲しい。私は心からそう信じている訳ではない。むしろ事実は正反対。先の鳥獣戯画・落語・狂言・唄などの通り、我が国にもユーモアやジョークを楽しむ伝統・文化がしっかり存在している。
ユーモアのセンスが無いどころではなく、恐らく世界でも最も高度にそれらを楽しむ民族ではないかと思っている。ユーモアを楽しむためには、高い知性と教養が必要だけれども、日本人にそれが無かろう筈はない。
ただーーー、日本人はユーモアやジョークを何故か芸術や唄の範囲に押し込めて、敢えて日常生活へは持ち込まないようにルール化しているみたいだ。それが為に、反ってユーモアを卑下したり避けているようにさえ思える。悪ふざけと見て、「不真面目・不謹慎!」という訳だ。
相手への思い遣りと礼儀正しさを優先する余り、結果的にそうなってしまっている。それが、日本人というものかという気がする。芸術の世界と日々の生活との間にケジメをつけて分離するのが、キッチリした国民性と言ってしまえばそれまでだがーーー、もう少し面白味を体現して、つまり生活を楽しんでもいいように思う。好美ちゃんにも、そう言いたい。
他方でそんな知性の問題とは別に、もう一つ奥の深い潜在的な文化の影響も大きいと思う:
欧州では近隣の国々の人の気質を皮肉るジョークがある。オランダ人のケチ(=ダッチアカウント:割り勘の事)・ドイツ人の過剰な杓子定規振りなどがそう。これに対して:
若い頃私は大手企業の輸出部に在籍していた。その時代、韓国・台湾やシンガポール・マレーシアにビジネスで出張したことが数回ある。経験が少なかったせいもあるかとは思うが、そんな昔を思い出して不思議に思うのは、東南アジア地区ではスマートにユーモアやジョークを楽しむ雰囲気が余り無かった。
我が国も含めて、この地区ではお釈迦様の仏教と孔子様の儒教の生真面目過ぎる道徳の教えが「やたら利きすぎて!」、人の自由な「遊び心」にブレーキを掛けているせいかなーーーという気もするのだ。これは、どう思うだろうか?
我が国は隣国の韓国や中国と必ずしも仲が良いとは言えないから、相手を揶揄したり、上手に皮肉を利かせたジョークが存在しても良さそうに思う。いや、当地域ではジョークで皮肉ったりすると、「真に受けて」きっとミサイルが飛来するに違いないから、アブナイ・アブナイ。当家の場合なら、即刻離婚騒ぎになりかねない。




