◎第五話: 「スイカ」の話
第五話:「スイカ」の話
1.不埒な大人
古い話になるが、昭和26年頃だから気の遠くなるような大昔ではない。
子供の頃、須磨の潮見台町(神戸市)に住んでいた。父親は公務員で、生活は豊かでなかった。 戦後の日本全体が豊かでない時代だから、特にウチだけが苦しい暮らし向きだった訳ではない。長男の私を入れて四人の子供を抱えた両親は、大変だったようだ。
小学校四年生の時、両親を入れて私達六人の家に、もう一人親戚の叔父さんが間借りする事になった。母の弟でまだ独り身。大阪寄りに近い西宮市にある会社に勤めていた。二食付きで間借りさせることによって、ウチは幾らかでも家賃収入が入り、家計が助かったのだろう。
叔父さんはニ階の六畳一間を貰っていて、毎晩八時頃勤めから帰って来た。特に可愛がられたり遊んでもらった記憶は無いが、こうして家族の一員として一緒に暮らしていた。
夏の日曜日だったと思うが、話をしていて: 叔父さんが最寄の国鉄(=現JR)須磨駅で降りて、帰宅の道すがら「買い食い」するのを知った。スイカの切り身をかじりながら夜道を帰ると聞いて、私は驚嘆した。
小四の正義感からすれば、不埒な大人で善い行いとは言えない。これが毎晩とくるから、学校の先生に見つかれば問題。とは思ったが、人に見られなければ、まあいいっかーーーと思い直して、小四の知恵で折り合いを付けた。自分にも財源確保の為に小遣いをちょろまかすなど、親に対して何がしかの内緒事が無いわけでもなかったから、男の秘密をかばい合う気持ちがあった。
駅からウチまでは、キツネ坂という人通りが少なくて寂しい、かなりきつい坂道を歩いて三十分程も掛かった。暑い夏の盛りであり、時刻的にもお腹が空くから、叔父さんは毎晩駅前の八百屋か果物屋に立ち寄ったのだろう。そこで切り売りの冷たいスイカの一切れを求めた。キツネ坂にさし掛かると、既にとっぷり暮れた坂道をスイカをかじりながら歩いた。
法外な贅沢だと私は思った。今になっても覚えている位だから、羽振りの良い悪事が余ほど羨ましかったに違いない。その頃、我が家ではスイカなどそう頻繁に口に入らなかったからである。
つづく




