気恥ずかしい気持ち
2.気恥ずかしい気持ち
歌詞の中の単語は二・三を除いて中三で充分分かったし、決して難しいものではなかった。黒板に書き終えてから、用務員は意味や詞( ことば)のニュアンスを詳しく解説してくれた。説明は決して垢ぬけたものではなかった。もし本物の教師なら、「ここはXXXの分詞構文の形になっているから云々」と文法を中心に無味乾燥な説明をする処だったのだろうか。
当時の私の力量では「あちこち主語の抜けた変な英語」と感じたのを、覚えている。けれども、主語を省略したり、(いわゆる)分詞構文を多用したりする変な英語が、実は本当の日常の会話なんだと知ったのは、大学に入って大分経ってからである。
内容は、若い男が失恋し思慕を断ち切れないでいる恋の歌であった。が、私が晩生( おくて)な上、性ホルモンが足りなかったせいだろうが、相手の女を何故そんなに(しつこく)忘れられないのか、良く理解出来なかった。時代背景も違った。クラスだけでなく国民がみな貧しい時代で、中三と言えども女へ恋々とする軟弱な男が「男らしくない」と映った面もある。
世の歌・詩・物語・男女の会話の大部分が、実は何らかの形で「男女の愛」を表現しており、それが人生を構成するほぼ全てなのだと知ったのは、三十を過ぎてからの事である。確かに晩生( おくて)に違いなかった。
それでも、(歌詞に含まれている)恋人を想う何やらなまめいた雰囲気が、春到来が間近に迫って体が蠢動し始めようとする中学三年生を、何やら気恥ずかしい気持ちにさせ、これが授業に柔らかさと奥行きを持たせたのは確かだ。




