カシオポ
7.カシオポ
最近「孤独の科学:著者J.T.カシオポ」というのを読んだ。これは人の「孤独感」を学問として研究したもので、孤独感を感じる理由をこんな風に説明している:
「初期の人類は、孤立するより集団で居た方が生存の可能性が高かった。これが為に、意に反して孤立して独りになった時に、不安感を生み出す遺伝子が選択されて人は進化してきた」からだ、と言う。つまり、孤独感を感じるのは遺伝的に逃れられない人の本質だと言う。
知人を亡くして寂しがる私の遺伝子も、例外ではないらしい。けれども本を読んで、大体がフンフンと理解出来るけれども、いまいち不充分と感じる点もあった。一流の学者の筈だが、この本を書いた時、著者がまだ充分な「年寄り」に達していない年代ではないのか、という気がしたからだ。年寄りの心境や孤独感は、その歳になってみないと学者にも分からない処があるようだ。
そんな部分はさておき、孤独感は年寄りの専売ではなく、ネット中毒に陥っている若い人もそう。個人主義は個々の個性を尊重する「良い事」のように一般に思われているが、必ずしもそうとは限らないようだ。これが人との交流を阻害し孤独感を助長する「西欧文化の悪弊」ともなり得る※、と西洋人(英国人)の著者自らが認めている。
※英国では6500万人の内、900万人以上の人が日常的に孤独を感じているという。この為に孤独対策を担う新たな閣僚ポストを新設したそうで、その名も、「孤独担当大臣」である。(2018.2月の日本経済新聞)
私の意見としても:日本でも核家族化の進展・隣近所でも互いの不干渉・個人情報の極端なまでの保護振り・ネットでのやり取りばかりとなるとーーー便利なように見えて、個人主義が人の「孤立化を助長」している。孤独感の温床となっている。
人は「(進化上)群居せざるを得ない生き物」だから、「仲間外れにされたくない」という欲求があり、「スマホ中毒」は人の本性から来る自然な現象とも見える。孤独を恐れて解消しようとする対策行為そのものだから、解消は難しいようだ。
けれどもこれは親切な本で、孤独感から解放される方法も示してある:
例えば、スマホ(ネット)中毒は本当の対策にはならず、孤独を紛らす一種の代用品に過ぎない。もっとも望ましいのは、日々の暮らしの中で、ごく表面的な物であっても、自分とつながりを共有する人々に「手を差し伸べる事」だ、と著者は勧める。言い換えれば、他者を「満たしてやる」事だ。自身が孤独感で苦しんでいるのを乗り越えて他者へ「手を差し伸べる」なんて無理難題に聞こえるだろうが、「小さな差し伸べで良い」と。
これは、「愛されたい」と思えば、「人を愛しなさい」というのと似ていて、私が「ピリオドまで耳を傾ける」というのと何処か共通している。「ピリオドまで聴く」のは誠に些細な行事で誰にでも簡単に出来そうだが、意識しないと出来ない。私には一種の努力であり忍耐の一つでない事はない。
が、この努力を払う事に拠って、私も少しだけ他人へ「手を差し伸べている」事になるのかーーーと思う。私が急に女に持てるようになったとはそういう事で、冒頭の「その証拠を、ここに示した」事になるだろうか?
精神科医の仕事がどんなものか、私は知らない。けれども、女のおしゃべりにじっと耳を傾けながら、つまり「持てている」合間にふとこう感じる: 「話を聴くばかりの自分は、経営者になるより精神科医になるべきだったかも知れないーーー」




