配偶者の苦しみ
5.配偶者の苦しみ
六十少し前に私の配偶者は病気になった。潰瘍性大腸炎という国指定の難病。効く薬も治療法も存在しないと知った時、状況は苛酷であった。苦痛の中で彼女がこんな風に訴えた事がある:
「たとえ重病であっても、大概は入院すれば・手術をすれば・数カ月経てば、完全に元通りになれないとしても、「治る」か或いは体が「楽になる」という駅に到着出来る。例えば重大骨折も、何時か「退院」という光が先にある。そうはならず、痛みが何時までも続き、病状の「より一層の悪化」を待つだけの為に生きる絶望感を、誰が知るーーー?」
こっちは返す言葉を失ってしまう。
こんな時、他人からの「慰めの言葉」は上滑りに響く。「私の苦痛など、何一つ分かっていないくせに」と、反って病人を苛立たせる。事実慰める方は、「何一つ分かってはいない」のだから仕方がない。同病の会というのがある。苦痛と相手の気持ちが本当に分かるのは、同じ病の人同士でないと分からないからである。一時入会したが、やがて退会した。初めの内こそ慰めになるように思ったが、反って「滅入ってしまう」からのようだった。
分かって貰えないから、病人は次第に貝のように口を閉じる。かと思うと、突然こちらへ激しい罵声を投げて激高する事もある。破れかぶれになり、自暴自棄を剥き出しにし、これが肉体の苦痛を助長して、苦痛を一層深刻化させた。そして最後に薄く涙を見せた。特に「貴方と結婚したから、こんな病になった」と繰り返し言われ、事実言われる本人も「そんな気がする」から、辛い。ついには「遺言書に、貴方の悪口を全部書いてから死ぬ」と言われた。
感情の振れが、健康だった頃より激しくなった。振れを抑えるだけの気力と体力を失ってタガが外れる。別の見方をすれば、本人も気づいていないが、いや、芯の強い女は気づかれたくないのだと思うが、私へ「甘えている」と見えなくもない。私以外の他の人へは、そこまで酷くやらないからだ。
「慰めの言葉」で病が治せる訳でなし、「絶対に治らない」のが双方に分かっていながら「慰める」のは、何時も身近に居る人であればこそ何か「白々しい」。永続的に続く苦痛を思えば、一緒に泣いてやるのが良いとも思えない。一時しのぎに過ぎない。
病人が不機嫌・罵倒・不満・嫌味を言いちらし、是に加えて時々虚ろに「遠くを見つめるような目つき」をする時ーーー、私は深い井戸の中を覗くような女の暗い「孤独感」を見た気がした。私という親しい人が傍に居ながら、女は「独りぼっち」なのだ。こんな時、どうすれば夫は病人の助けになってやれるだろうかーーー?




