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地獄のよう

3.地獄のよう


 いや、そんな浮ついた話をしたかった訳ではない。ここで取り上げたいのは、人の「孤独感について」である。特に老人性孤独感症候群。


 昨年一年間だけでも、私は数人の知り合いを亡くした: 同級生・同級生の奥さん・親戚の人・仕事でライバルであった社長二人。それらの人たちと日頃特に親しかった訳ではないけれど、「良く知っている」間柄。こっちの年齢が年齢だから、周りでバタバタと知り合いが消えてゆくのは仕方がないが、若い時に経験するのとは違った寂しさがある。この「寂しさ」が何処から来るか、と考察して見た:


 若い時は、友達・知人を失くしても、また「新しい友達・知人」の出来る機会は沢山ある。一人減っても、新たに二人増えるみたいなもの。私は何度か転職したから、古い知人から遠のいても、新しい職場で新しい知人が出来た。会社員なら、移動で今までの同僚と別れても、新しい職場で新しい同僚が追加的に出来る。こうして年と共に大抵は知り合いや友達が徐々に増加する。新しい出会いに忙しいから、失った知人を偲ぶ事に心を砕く程度は小さい。


 けれども年寄りの場合、そうは行かない。棲む世界が(若い時より)狭い上に、新しい友達を作るのに億劫で消極的になる。だから、Aさんを亡くしたからと言って、新たに友人Bさん・Cさんを作る機会は少ないから、失くしっ放しになる。収支は±ゼロではなく確実にマイナスで、狭い世界が更に狭くなる。


 友人或いは知人とは、自分の生きて来た「過去の一時期、或いは現在の一部」を知ってくれている人。自分の歴史の生き証人と言えるから、それを亡くすのは、「人生の一部」を「もぎ取られる」気持ちになる。これは多分老人特有の気分で、若い時に経験したのとは質が違う気がする。

特に、配偶者一人しか親しい人が居ないような人付き合いの悪い男もいるようだが、そんな場合伴侶を失うと、全人生を失くしてしまう気がするだろう。


 娘が年老いた自分の「父親の様子」を、こんな風に述べていたのがある:

「(父は)母が死ぬまで病室にしていた部屋を、生前のままにしておき、眠れぬ夜に起き出しては部屋の扉を開け、闇に向かって「ママー、ママー」と母を呼んで泣いた」(上野千鶴子:社会学者) そんな「孤独感と寂しさ」は地獄のようで、誰も埋め合わせが出来ない。




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