不思議な現象
3.不思議な現象
一ケ月が過ぎた頃不思議な事が起きた: 踊っている女の身のこなしが、何処となく以前よりもっとしなやかになったのに気付いた。動きが艶めかしく優美になったのだ。腰を振る時には挑発的に突き出すように感じて、こっちは道徳的だから目を伏せずにはいられない。初めは自分の気のせいかと思った。
改めて眺めると、女の姿が以前より心なしかもっとスラリと見える。足元へ目をやって分かった。それまで履いていたベタリと平たい運動靴から、低いけれども踵のある靴に履き替えられているのに気付いた。たった靴一つでこれほど違うのかーーー、スラリと見える効果を与えていたのである。
平底の方が運動し易いのは確かだが、敢えてやや踊りにくい踵( かかと)付きに替えた処に、女の意志と美的センスを感じた。踊りも姿も一層美しく見せるように変身する事によって、女はこっちへシグナルを送っていたである。
別の変化にも気付いた:踊りながら体を回す時に、それまでは時々私と偶然にせよ目が合っていたのに、それが全く起きなくなった。体が真正面にこっちへ向く時でも、女の顔は私とは違う斜め上方の宇宙空間へ向けられようになった。明らかに冥王星の方角と思う。
正面を見せない横顔には誇り高い気品を感じるが、高慢の表情と見えなくもない。けれども女は、踵の高い靴と地上に棲む私を敢えて無視する二つの変化によって、私を意識していたと言える。
けれども本当に稀な事であったが、ダンスで体をひねった時、殆ど分からないように女がチラと路傍の石を眺めるみたいに無表情な視線を私へ呉れる時があった。それは千分の一秒という一瞬間だけであったが、「ちゃんと見てくれているかどうか」女が密かに私の視線を点検しているみたいに感じた。
問題は、何せジム内のダントツ美人と、ジム内で一番の加齢を競い合うオペラ座の怪人の取り合わせである。「ノートルダムのせむし男」の物語も思い出しながら、こっちの不利は覆い隠しようもないが、私は諦めないタイプ。今後の作戦の為にも自分の「勝ち点」を一応数えてみた:
①女の踊りが、以前に増してしなやかになった(=これは気のせいではなく「私に見せる」為、と解釈する)
②踊り方が、腰を突き出すように一層積極的になった(=同上の理由の外に、徴発が追加して加わった)
③踵のあるシューズに変わった(=これこそ、決定的にこっちへのシグナルである)
④女が視線を合わさなくなった(=女のキライはスキの意味、と解釈する)
⑤私を無視する一方で、冥王星の辺りを見ているのは明らかに(=一泊二日の)宇宙旅行へ誘う思わせぶりな暗号だから、決定的シグナルだと判断した)
⑥「見てるかどうか」私の視線の行方を点検する(=大スキの意味、と解釈する)
女の変化はそんな風にデリケートだから、他の人達には、いや(普通なら)私にさえ決して気付かれない。がーーー、こっちは気付いたのだ:ダントツ女が「オペラ座の怪人」を好きになる事だってあるのだ。言葉こそ交わさないが、私達は二人で充分過ぎるコミュ二ケーションをやっていた。




