愛し愛される
7.愛し愛される
「(仕事の)遣り甲斐・生き甲斐」に関連して、ここでちょっと話が変わる。
「愛」という言葉がある。恋人同士が「愛する」・「愛される」と言う風に使う。「右の道へ進む・扉を開ける・メシを食いたい」という意思表示とは明らかに違った言語で、だから「愛」は抽象的な概念と言える。
抽象的だのに不思議に誰でも知っていて、言葉を未だ知らない幼児でさえ、意味を体得しているかに見える。声を上げて泣けば、母親が振り向いて「愛」を分けてくれるからだ。幼児は「愛されたくて」、それを求めて「泣く」のだろうか。この「愛」の概念が人の「あらゆる場面」を支配しているように見える、この中に会社やビジネスも含めてーーー。
「愛される」とは、突き詰めたらどういう意味か? 掴みどころのない気もするが、赤ん坊なら母親からオッパイを貰う事だし、男女の仲なら単刀直入に「セックスする」といっても間違いではない。子犬のように「可愛がる・好きになる」、或いは(相手の)「役に立って上げる」と言うのも愛。これらに共通するものは何かと考えてみると:(相手から、或いは人から)「大事にされる・大切に思われる」というのと、「同じ意味」ではないかと思う。
恋人は当然パートナーから「大事にされるし、大切に思われる」。子供は親から「大事にされる」。人の「役に立って上げる」と言うのも、相手を大事に思うからで、どれもみな「愛」だ。面白い事に愛の向け先は、人とは限らない。愛車を「大事にする」となれば、それも一種の愛情。通学路の横断歩道に立つ母親が停止ラインからはみ出した車を安全旗で軽く叩いて、腹を立てたドライバーが怒り狂った話が新聞に載っていた。過度な車への愛情の発露に違いない。
他方で、会社で人は誰しも出世したいと願う。給料も増えるし、人に威張れる、奥さんにいい顔も出来る。出世への願望は、人として自然な事のようだ。いや、「出世なんぞ人生の大事じゃない、金は食えるだけあればいい、(それより)信ずる道を行きたい」と恰好を付ける人もいる。学者などはこれに近い。
けれども無欲に見えるそんな人でも案外、業績を上げて人から(学会から)「注目されたい・認められたい」し、ここに「オレあり」と見られたい、自分の著書が「広く読まれて・沢山売れて欲しい」と願う学者は多いと思う。「無欲」と口で言いながら、その実これも一種の「出世(=世に出る)への願望」に違いないーーー。(意識しようとしまいが)人とは「出世したい」生き物なのだ。
何故「出世したい」のだろう? 突き詰めると、それぞれ違った理由を挙げても、(相手から、或いは周りの人から)「大事な人間と思われたい・大切に扱われたい・大物と思われたい」のだと分かる。結論に行く:先の「愛=大切に思われる」の公式に当て嵌めると、「出世への志向=(その人は)愛を求めている」となる。「愛に飢えた」生き物で、それが人の「本性」なのだ。
これは恐らく集団生活が(太古の昔に)「生存に有利」だった人類進化の過程で、遺伝的に選択され続けた結果、人に備わった本性と思う。他人に愛されて(=好かれて)こそ、集団内にとどまれるからだろう。
因みにそうと分かれば、相手が美人・男前のハンサム・難しい上役であろうと、人間である限り「愛に飢えている」のだから、こっちの「愛の与え方」のアポローチさえ間違えなければ、必ずゲット出来る訳になるーーー。昔の中国に、こんな話がありましたな: 戦場で足を負傷した部下がいた。膿( う)んだ傷口を将軍が口で舐めてやった。これを見た母親は、こう言って嘆き泣いたたそうだ:「あの子は将軍の為に命を捨て、必ず死ぬだろう」 愛は容易に命と交換になる。
ウフフ、策略深い私がこれを経営に生かさいでかーーー。ビジネスの話に、なぜ唐突に「愛」が出て来たのか不審に思ったかも知れないが、私は会社経営で部下の人心掌握に「意識して」これを活用している。先に書いた通り全員が「嬉々・キッ!」と半分発狂しているのは、先の将軍と共通の作戦なのだ。




