指し手
4.指し手
社員達の仕事の分量は以前と多少増えたとしても、働き振りは大して変わらない。それだのに、賞与がどうして一挙に昨年の2倍に跳ね上がるべきか? 何処かおかしい。賞与とは、文字通り「賞して」(=褒めて)、その褒美として「与える」筈のものではないか、だからこそ賞与だ。運動会でも一等になったから、一等の「賞」を貰える。三等の人が一等賞を貰えたらヘンだ。「公平」とは何かを私は考え始めた。
昨年の倍額に増えた2000万円の儲けは、誰が稼ぎ出したものかを考えてみて、言いたい事に初めて気が付いた:昨年の1000万円→2000万円へ伸ばしたのは、「私達の」努力ではなく、「私の」努力ではなかったか? 一等賞は私じゃなかろうか!
社員の研修内容を充実させたのは外でもない私で、テスト問題を百問も考案した。新規テリトリールールを発明し、Web広告による販売戦略を立案し、子会社を設立して新製品を導入したし、情報を集めて新しい海外メーカーとの提携に漕ぎ付けたーーーのも私。これらが利益の伸長に繋がったのは、疑う余地が無い。
それらプランを実行するに当たって、こまごました実務は確かに社員が執り行った。けれども、彼らは「指示に従って」、右に左に動いただけではなかったか? アイデアを建策したり次の一手を考案した訳ではない。将棋の「駒」であって、「指し手」ではなかった。対局で勝ったからといって、棋士が盤上の駒に感謝して頬擦りし、ボーナスを与えたなんて話は聞かない。




