不倫は一つ増えた楽しみ
5.不倫は一つ増えた楽しみ
「互角に立つ」の意味で言えば、私達夫婦は世間のタイプとは 「少し違う」ようだ。 私は他の女と夫婦をやって見た経験がないので確信は持てないが、人がそう云うからである。若い頃からよく言われるのは、「夫婦のように見えない」である。
じゃ、どのように見えるのかと訊くと、「友達のように見える」とか、「兄妹みたいだ」とか、「奥さんが遠慮をしていない」とか言われる。そんな風に云うのは年配の女性が多い。しかしこれを逆に言うと、世の夫婦の多くが友達ではなく、「かたき同士」なのだろうかーーーと心配になる。
私たちを眺めて、結婚したての複数の若い女性からも「将来あなた方のような夫婦になりたい」と云われた事がある。これを根拠に、ウチでは「うまくやっている」方かと思う。因みに、男からそう言われた事はない。
が、仮にそうだとしても、この「あなた方のようなーーー」は難しいかも知れない。「この洋服買ったのよ、良いでしょ!」と言える為にはお金の力が必要で、妻が夫と同程度の経済力を持たなければならないからだ。こんなポイントに人は案外気付かない。 それに二人は、互いに嘘と騙し合いと、お口にチャックと、収入互角制の運用が上手なのかもしれない。
話が変わるが、この世の中「競い合い」でないものはない。運動会では一等賞が必要だし、オリンピックでは金メダル、学校の試験、入試、彼女の獲得だって競争。企業間では、受注の奪い合い。展覧会では、傑作と駄作は区別されるべきだ。この競い合いが実は「夫婦の間」においても例外ではない、というのが私の考え。
先ほどの 「ワチキの男を返せ!」はその典型で、一時はワチキの恋人だったとしても、もはやワチキのものとはならない。一度体を許しあった恋人、又は結婚して配偶者として確保したーー、としても永久ではない。確かに既得権ではあるが、だからと言って相手は生涯自分のモノでひと安心という訳には行かない。それが証拠に、不倫と離婚が花盛りな今の世を見れば判る。
「現代は、不倫は「一つ増えた楽しみ」で、苦悩でも何でもありはしない」と林真理子(作家)がそそのかす位だから、努力が足りなければパートナーの心を失い、ひいては浮気を止める事は出来まい。そういう目で眺めた時、世の夫婦の多くに「油断がある」ように見える。
既得権として相手を縛り付けておきたければ競争力を高めて、油断のならない競争者からパートナーを「ガードする」ためにも、互いに相手から「クビにされない為」にも、油断しない事だと思う。その為には手間が要る。私達夫婦が案外上手く行っていると見えるのは、そこを自覚しているからかも知れない。
一つ増えた「楽しみ」の結果、少なくない数の夫婦が破綻している。今や三組の夫婦の内一組は破たんする。私から見れば夫婦という既得権に胡坐をかいた怠慢の結果だと思うから、「仕方のない」現象と映る。(被害者が女であっても男であっても)浮気される方も実は悪い。だから、私が(男だけでなく、女の)浮気に対して割りに寛容で、社員の浮気に気付いても案外批判的ではない。
誤解をして貰っては困るが、浮気を奨励したり私が今にも浮気をしようとしている、と言っている訳ではない。ただ、既得権にあぐらをかいておれば、報いを受けるのは仕方が無い、と言うだけ。




