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ミサイル女

2.ミサイル女


 夜になれば密着して秘部を舐め合う程親しくなり、何でも許されそうでありながら、互いに騙し合いをする矛盾に満ちた関係が、夫婦である。くれぐれも真意を悟られぬよう、夫婦間では大事な事はお口にチャック、寝言にフタ、ベッドで繁殖中に感極まっても、双方とも配偶者以外の名を叫んではならない。


 そこまで用心を重ねても、特に男は元々自己中心だから、例えば、大地震が起きたとっさの場合にはつい本音が出て、自分だけ先に逃げてしまい、離婚沙汰になる。そんな時の用心の為に防災訓練のついでに、自動的に妻を庇う振りが出来るよう、夫は日頃シュミレーションをやって鍛錬しておく必要がある。


 さて、お口にチャックの典型の一人は、ウチの女事務員38歳で二人の子持ち。利点は美人と背の高さで、欠点は有休をフル活用して会社を休み過ぎる。更には、先の「健康診断の話」で紹介したが、「髪の長短」を武器に給与交渉で私と渡り合う:「社長、髪を短くしたら給料を上げてくれますか?」 ショートカットの髪が好みで助兵衛なこっちを見抜いて、つぼを心得た戦術を使うから恐ろしい。

 社内の噂で伝え聞いた話だが、この女こそ際立って夫に真実を言わないタイプで、彼女に匹敵するものは社内に居ない。


 「ウチの社は年中不景気」で、しかも「どケチな社長」だから、給料が「超安い」のよと日頃そう言って、夫に給与の明細書を見せた事はないらしい。恥ずかしくて人に見せるだけの値打ちさえ無いというゼスチャーをするのだ。

 「どケチな社長」と「超安月給」については私として異論があるが、一番許せないのは「だから、ここ何年もボーナスなんてゼロなのよ。そもそもボーナスなんて単語がウチ社の辞書にはあるのかしらーー」と、夫の前でとぼけて見せる。とぼけ方は犯罪に近い。なぜなら会社設立以来、ウチでは社員へ賞与ゼロなんて一度も無いからだ。


 これを女は何度も「言い聞かせる」から、夫は、特に男は単純だからついにセメントみたいに堅く信じてしまう。 夫は私の事を、自分の妻をただ同然でこき使う邪悪な人間と思って憎んでいるに違いない。私がある日突然死んだら、第一被疑者として先ず夫を疑え。 

 夫の職業を知っているが、賞与を含めた女の年収は夫と五分五分、ひょっとすると上回るのではないかと私は睨んでいるが、可哀想に真実を知らぬは夫ばかりである。


 この女の論理はこうだ。 夫の給料は「夫と私の二人共同のもの」、自分のは「私だけのもの」なのである。夫の知らぬ間に女は金を貯め続け、内緒で莫大な財を築くに違いない。無論、全額が女名義なのは言うまでもない。


 「長い人生、何が起こるか知れないわ」と女は言う。女の言う「何か」とは、端から夫を離婚の標的にしており、既に充分射程距離に入れてある。夫のちょっとした不注意が、命取りとなる。日頃から女の持論は「人間は親しくなるにつれて、迷惑になって行く」だが、ここで言う人間とは夫以外には考えられない。ある日突然女から、「別れましょう!」とミサイルを打ち込まれ、夫は腰を抜かすのだ。


 こんな話を身近に聞くと、他人の夫婦ながら寒々としたものを感じる。お払い箱にされる夫が気の毒でならないが、「どケチな社長」と云う女の言葉を鵜呑みにした成れの果てだ。



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