やろうと思えば
5.やろうと思えば
四十歳前後に私は長い失業を経験した。幼児二人を含めた家族を抱えて「途方に暮れた」: 当時の不安定な仕事・収入の無さ・先の希望の無さ、それに「自分の能力」が正当に用いられない理不尽さ。それらが、如何に「非人間的な状況」だったか、悔しい気持ちを今も忘れない。当時は今のように非正規がある社会ではなかった。
世の中は公平でないと思ったものだ。そんな時、人の心は簡単にすさんでしまい、親しい家族と言えども愛さえ持続させるのが難しくなる。
私が経験した完全な失業状況と非正規ながらも仕事があるのとは、確かに違う。非正規のある現在の方が、まだベターに進化していると言えなくもない。けれども程度の差はあっても、不利な経済面・仕事の不安定さ・希望の持ち難さ・不公正な扱いの基本は、少しも変わっていない。昔に比べて、むしろその「人数」が全労働者の四割弱と(昔より)増加しているのだ。だからこそ、社会問題として一層深刻。
もし私が企業経営者になってなければ、意見は違ったかもしれないが、非正規の不幸を他人のように思えない。彼らの為に何か出来ないかと考えてしまう。ウチが意識して非正規を利用しないのは、現代向きな経営者と言えないのかも知れない。ウチがやれるのは、正社員として雇う事によって、非正規の数を世の中から精々数名「撲滅する」位の事だ。
普段なかなか完全に一致しないのに、この点については、共同経営者である私の配偶者も、同じ意見。夫の失業時代をしっかり覚えている為だろうか。
経営者である前に、身の回りの同胞に対する良心が、二人に多少とも有る方だろうと考えている。非正規を置かなくても設立以来三十数年、途中の不景気も乗り越え会社は一度も赤字を出した事が無い。社員に年二回のボーナスの支給を省略したこともない。健全に利益を上げ続け、優良納税会社として税務署のロビーに張り出された事もある位だ。なに、やろうと思えば、やれるものだ。
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この文章は主として家計を支えるべき所謂主人向け、つまりは男性向けに書いている。が、女性も呑気に構えては居れない。定期的に通うスポーツジムには先のM君の他に、女性インストラクターK子さんも居る。私と大の仲良し。彼女は大学を出て二年程経つが、正規の仕事に付いておらず、ジムで非正規でアルバイトをしている。なぜちゃんと就職しなかったか、詳しい事情は聞いていない。正社員に付いて「キャリアを積みなさい」とアドバイスしたら:
「キャハハーーー、いいのよ、私は。だって、永久就職するんだもの」
親が裕福というのも、或る意味不幸な事だ。
「じゃ、素敵な彼氏がいるのかい?」
「未だ居ないわ。その内、良いのを作る」
男に比べりゃ、若い女には永久就職という逃げ道があっていいよなーーーと思うかも知れない。が、そう言って居れるのは、精々三十二・三まで。非正規の男子が多い社会は、結婚対象男性の「数少なさ」を意味し、結婚の困難さに繋がる。しかも結婚しても、昨今は三組に一組は離婚すると聞くじゃないか!
女性がシングルで生きるのは、文明が発達した現代においてさえ易しくはない。女性の貧困物語は、男性のそれより遥かに「程度が厳しく・悲惨」。K子さんはこれを避ける為に、永久就職に全力を挙げるべきだろう。
ただ、蛇足かも知れないが、「貧困物語」の目に逢っても、女は男に比べて何故か「強く・忍耐力」があるのは事実だ。逞しいと言うべきかーーー。だから、私の忠告に「キャハハ!」と笑えるのだろうか。
完
比呂よし




